一夜明け
昨日は、自分の中で「けじめ」「決着」をつけるような気持ちで上京することにし、コンサートに参加をさせて頂きました。「啓」に未来を明らかにする意味があるとは知りませんでした。音を拝聴しながら、自分の中では世俗の纏いを祓いたく、先日ある峰に初登山でしたが頂上まで登り、そのときの容赦ない天の気配を思い出しておりました。そこから「隙」とはと考えます。第二部にて、先生ご自身も、ご自身の巡りを問うことがおありになるのかと考えました。パイプオルガンを演奏されます先生のお姿とを拝見しておりますと、天、宇宙、更に広いところと、この人間の生きるこの地やすべての生命との間を繋げていらっしゃるお一人のお方と映りました。宇宙更なる世界とも、微に至る生命とも溶け合った人間とし在るお方と感じられます。またも先日、森の中を長時間トレッキングをする機会がありました。足をひどく痛めていたので何処まで行けるかはわかりませんでしたが、緩やかな坂道を数時間歩くと痛みが「苦痛」ではなくなり、その先の急なアップダウンも全部歩いて帰ることが出来、森に癒されたと感じております。そこで治ったわけではないのですが、かなり軽減されたことを考えると、他者、木々、森の生き物たち、空間と交流しながら在ったと考えられ、先生の講座の時を考えました。勝手な解釈ですが、先生が「すべて」と一つなら、先生が人の「悪い」ところを「食べる」のは、この自然の木々も交流していることと至りました。
このことをどう表現しようか、自分はストレートすぎるのでそのまま言ってしまいますが、やはりそのまま言ってしまおうとあります。
ありがとうございます。
田嶋利江子