一つの光立ち上がり
ツァラトゥストラは、「伴侶」に語り掛ける。ともに働き、創造に生きる人を求めねばならない。しかし、現実には、そういう人は容易に見つからない。話は合うが、自ら創るところに立とうとしない人や、協力は口にしても、自ら動こうとはしない人ばかりだ。でも、わたしは、先日、「高句麗伝説」で「光」を浴びてしまった。もう後戻りはできない。できりか、できないかは問題ではない。前進あるのみ。だから、また同じ人に呼び掛けるだろう。わかってくれない人にも、もう一度話すだろう。そして、決して選別せず、だれにでも、共に創っていこう!と語り掛けるだろう。苦境と多忙のこれまでだったが、どうやら持ちこたえ、新時代の入り口まで来た!一つの「光」が身近にある。連休の間に、英気を養い、準備を整え、心身を鍛え、「成果」の5月にしたいと思う。