一つにつながる朝
雨降る静かな朝を迎えました。まるで今までのことをきれいに流して下さるかのような、美しい雨の朝です。
高句麗伝説の会場に向かう前に、弁護士事務所に行って来ました。右手首骨折の時に私の力になって下さった弁護士さんとは久し振りにお会いしましたが、心置きなく話せて嬉しかったです。事実として客観的な判断の手がかりを自分で確かめたいことがあり訪れましたが、案の定の言葉にやっぱりなと思うと同時になぜか私は笑っていました。その方は笑う私の顔をじっと見つめ、笑うことが大事と仰いました。無意識でしたが、なるほどとわかりました。あまりにも大きな人生の勉強代となり、私だけでなく亡くなった父、そして母に対しても申し訳ないと伝えると、弁護士さんからの言葉がそのまますっと心に入りました。真っ直ぐな瞳と言葉は、余計なものを溶かします。帰り際に、そういえば両親も私もお金を騙し取られたと気づき、倍返しで必ず私はお金を稼ぐと笑って告げると、初めてその方は「おぉっ」と笑いました。この弁護士さんとお会いできたことに感謝いたします。
すっきりとした気持ちで向かった狛江での高句麗伝説の会場は、いつもと違いました。これから起こることにどこか緊張しながら、とても静なるものが胸の内にありお待ちしました。ペルセポリスでの音が聞こえた瞬間、記憶でなく全身でわかり身震いが起こりました。この経験は、確かに在り。それは記憶を遥かに超えた大いなる神の存在であり、身じろぎ一つできず息をしていることもわからず、ただそこに、その場に共に在りました。確かなる自分の中心に立つもの、それは一切の揺らぎもありません。蒼い風が吹きました。世界が変わる善の風。「聖なる善」のコンサートメッセージ、「善」は「善」のままでよし。身体の内なる「善」のままに生きてみて下さい。先生の言葉が蘇る朝です。一つにつながる朝を迎えました。ありがとうございます。