レジリエンス
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J・リフキンの用語:回復力:「回復だけでなく、自然に適応し、共存する能力。」
どうやらわたしの年齢(80歳)が問題で、派遣が打ち切られるそうだ。くだらない理屈だ、と吐き捨てたいが、困惑は尽きない。すると、そこへ教え後の大学生から電話があり、「現実と向き合わないといけないと、先生に言われたが、ぼくにはとてもその自信がありません。」と訴えられた。自信をつけるクスリなんて、どこの薬局にも売ってないよ、問題に正対する中で、自ら養っていくしかないんだ、と言いながら、自分に言って聞かせていることに気づき、失笑する。
資本主義社会の危機をどう乗り越えていくか、天変地異の自然とどう向かい合っていくか、まさに「深淵に臨むがごとし」のいまをどう生きるか。「脱成長」か「回復力」か、「コモン」をどう構築していくか。昨日も、ピケティ―信奉者の友人と山荘で語り明かしたところだ。サイエンスとデータを駆使しいて、効率優先で議論を進める友人に、そうものごとを「上下」「損得」で捉えず、「水平」「共存」に置いて、その止揚を考え、見えず、とらえにくいけれど、「愛」とか、「神」とかまで、視野を広げるべきではないか、と言い返したのだった。
自信があるとか、ないとか言っていても、ちっとも前進しない。年齢を理由にされても、言い返す術はないし、それは無駄な言述に過ぎない。それでも、わたしは前に進もうとする。仕事を求めて、歩き回るしかない。リフキンさんは、言っている。「他の生き物に対しても発揮される共感力の進化を“生命愛の意識”と呼び/これこそ危機を乗り切る希望だ」と言っている。こうして書き、共感を得てこそ、前進できるのだ。こういう場があることに感謝したい。(1/7)