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リスタートの前に


そうだ、明日の二つの講座と明後日のコンサートをリスタートのエネルギー・チャージにしようと、今朝、床の中で決意した。いつも、よし!リスタートだと張り切り、その度に元気と新鮮な意欲を得てきているのだが、ひと月ほど経つと、なんか薄汚れ、なんか的外れになってしまうのだ。そして、リスタートのためには、何か問題意識を持つべきだという点にまで至っている。

たまたま本屋で目についた二冊の本、養老孟司著『AI支配でヒトは死ぬ。』と、波頭亮著『文学部の逆襲』の後者の方を読んだところ、

資本主義の暴走、民主主義の機能不全、AIというインパクト

をテーマに、アリストテレスの「エウダイモニア」(幸福の行為)にいたる「大きな物語」の実現のために人文的な文学的英知の結集を訴えている。とても読みやすいのでいいのだが、「AIは生産活動には携われるが、消費活動は行えない」という点から、AIが生み出したものを人間の豊かさにつなげられる、「生産―消費」という経済構造から脱却できる、金万能主義や疎外からも抜け出せると説くところで、困惑してしまった。AIはそれほど肯定できるのかと。養老さんの本を齧ったところだから余計に戸惑う。果たして、これからのAI時代をどう生きていけばいいのだろうか。

果たして資本主義は夢を実現するシステムなのだろうか。株式会社というあり方は善いことなのだろうか。「いだき」が株式会社であることは、わたしには新鮮なインパクトだった。宗教でも学校法人でもないことで、人を良くすることができるなんて。しかし、株式会社であることは、問題があるのだろうか。巨大な生産企業と同列にするのはまずいと思うが、「経済」に疎いわたしはわからなくなる。

三つ目は、先生は投票にはゆくべし、といつもおっしゃっているが、「資本による政治の買収」時代の今、選挙もとっくに「商売」になり、すっかり操作される対象になってしまっては、何党に投票しようが企業や情報産業に踊らされているばかりではなかろうか、という懸念。

各党とも「バラマキ」を公約しているが、このままでは「氷山に向かって進むタイタニックのようなもの」という財務次官の苦情が正しいのではないか。なんとか企業の内部留保金を利用できないか。MMTのような考え方は間違っているのだろうか。

つまり何からお尋ねしてよいものかわからない状態なのである。はなはだ準備不足、予習不足で、講座に望む次第。(いつもそうだが……)

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