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メッセージがないコンサート


迎賓館コンサートはいつものように比叡山の厳粛な空気の中、いだきしん先生のピアノではじまりました。先生のコンサートは私が出会えた30数年前から長い間、「題名のないコンサート」でした。いだき講座を受けてからその理由は自分では理解していました。しかし、長い間ピアノが何を表現されているのか「わからない」状態が続きました。流石に20年もすると「わからない」自分をどうしようも手がつけられない人間と考え込みました。嘘はつけないので、自分からは言いませんが、聞かれたら「わからない」と答えてきました。ところがいつからだったでしょう?先生がコンサートメッセージを伝えてくださるようになりました。私は飛び上がるほど喜びました。

コンサートはわからなくても いだきしん先生のことは不思議とわかるのです。・・という言い方はかなり曖昧な話になりますが、先生との出会いの前までに自分が迷ってきたこと、探してきたこと、行き詰まってきたことの全ての答えをわかっておられる方というわかり方です。直観的に最初の出会いで即、わかりました。しかも、依存することを最も嫌われる方ということが私が最も求めてきた答えのあり方でしたので最高の出会いでした。言葉で語っていただく講座はどんどん内面に響き、こんなに「わかる」ことの楽しさは当然、他にどこにもない超一流の「人間のスペシャリスト」経験です。一方でコンサートは粛々と経験してきました。

講座からコンサートの理解へという長い長い道程を経て、ここに至って真の花、エロス、老子、玄牝、偏微分と伝え続けていただき、これまでの「わからない」から一気に超えるある何かの経験をしたと感じています。それは昨日の「メッセージがない」迎賓館コンサートで腑に落ちました。一言で表すと自己に潜在している傲慢な在り方が有る限り「わかる」のは無理という発見でした。それは迎賓館コンサート終了後に、京都いだき事務所までタクシーをぶっ飛ばして、後半の一部でしたが高麗さんのビデオ講演会を聞き、そのまま高麗恵子語りを聞かせていただき、さらに高麗さんには貴重な時間をいただき、また腑に落ちました。先生の迎賓館コンサートから高麗さんの二つの講演会、その後までの流れがこの30数十年間、身体の奥深くに潜在して隠れていた傲慢さと表裏一体のようにあったであろう無限の可能性へ向かう”いのちのちから”の発掘でした。内面の奥深くへ”ツルハシ”の一振りを一気に降り下ろすような経験でした。

メッセージがないコンサートの真髄は「偏微分」という考え方のヒントのお陰様で全体へ至る道ひらきの神髄と捉えます。「男は、はたらくよりない」との先生のお言葉を自分の答えとしてやっと理解しました。本日も存在論、応用コースと最も いのちが喜ぶ愛のフィールドに向かえる「今」に感謝致します。いつもありがとうございます。

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