“ホモ・デウス”
東京に向かう新幹線の車内で、「21世紀には人類は不死と至福を目指して進む」(ホモ・エルクトス☞ホモ・サピエンス☞ホモ・デウス)とういう予測を掲げるハラリの新著『ホモ・デウス』を80ページほど読んで寝てしまった。
現代は大きな変革期にあるという指摘は、十分に理解できるのだが、不死とは⁈、至福とは⁈。考えなけれならないことが多すぎる。目が覚めたら、車窓に富士山が大きく迫っていた。なんか肉親の裸体にあったような親近感があった。そう8月にあの宝永山のところから一気に砂走りを下ったのだった。そして、新宿からの小田急の車窓から見える森と丘の多い武蔵野の風景もうれしかった。「やはりわたしは東京で死にたい。」などと思った。狛江に辿りついた自分が何より誇らしかった。「あなたと同じ年恰好なんだから、一緒に頑張ろうよ!」と声をかけてくれた女性がいた。いや、年齢は関係ないのでは、と思ったのだが、励ましてくれる人がうれしいい。青森の女性は、おいしいお餅をくれた!その人が見違えるようにきれいになっていた。優しい人たちがここに集っている。
新しい音が新しい地平を拓いてくれた!そして、そこには、心配も苦悩もなく、「不死」と「至福」さえもなかった。それこそ見晴るかす地平と大空、それだけ。だけで、空虚でもない。虚無でもない。全面肯定の感覚と肉体への信頼、英知を受容する用意があった。参加できてほんとうに良かった。うれしかった。
おかげで、「デウス」(神)とともに生きていけます。ロープを投げ、温かく見守ってくれた仲間に大感謝。いだきしん先生、高麗恵子先生、ありがとうございます。