トータルで生きる
第一部は内側の塵を吹き飛ばしてくださるかのようで、あっという間に終わっていました。パイプオルガンもピアノも前日と同じ会場でありながら違うもののようです。
第二部の天変地異と感じる怒濤の演奏には荒ぶる神様と人間を超えた人間でいらっしゃるいだきしん先生の存在に自分はどこにいるのかわからなくなりました。日本は本当は凄いんだなと、驚きと美しさへの感激と、時を迎えたことへの感謝と、空間としっくりくるいのちの位置を見つけました。回を増すごとにこれまで以上にピアノやパオプオルガンの音とは聞こえず、現れたことのない本来の人間の美しさを見出す光の音の玉のひとつひとつは、時に剣のように真っ直ぐに伸び空間の裂け目を作りそこから新たな時を響かせたり、時に優しい川面の水鳥となり、愚かなのは人間だけだと教えてくださったりします。
今ここで能力上げないと死ぬ、くらいにここ数日危機感を覚えていて、やっているつもりになっているか、ちゃんとやれているかは、嘘偽りなく結果として現れるだけだと、大いなる存在に明け渡すのみです。卑怯、という言葉には、自分自身の存在を生きないことも含まれ、ただ単にずるをして勝つとか、人を罠にかけるとかいうことではなく、一見まろやかな風でありながら存在隠して生きることも、これまでの時代であれば仕方なかったものの、これからは卑怯かもしれません。
本日も素晴らしい経験をありがとうございます。