KEIKO KOMA Webサロン

ジェンダー講座


ジェンダー講座を開催してくださり、どれだけ救われているか知れません。講座によって問題が解決され、また次の講座までに次の問題に直面し、そしてまた講座で解決されていく連続の中で関係を続けていけます。特にこの数日は、ジェンダーのことで奥に潜めていた問題が顕在化していました。性愛は苦悩という表現が生まれ、八方塞がりの苦しみが心を乱していました。今思えば、単に感情的になったり、独り言の世界へと飲み込めれていくのは、自分の気持ちを表す言葉が未熟である故に起こっていたことと理解できます。自分は何に困っているのかわからないような状態で講座に臨みましたが、冒頭、問題が起こったらそれは表現方法の問題とお聞きし、眼から鱗でした。
一昨日は翌日にジェンダーがあるからなのですが、ジェンダー問題に心悩み、他のことに手がつかず、大塚ひかるさんの源氏物語を一部ですが読んでいました。京都に向かう道中は、日本女性の歴史を読みながら過ごしていました。私の感じている苦悩とは、一夫一婦制の現代の体制の中で性愛がどこか窮屈なものに感じているのかという問いに対して、古代日本、中世の日本女性史に見られる男女の在り方はなんて大らかなのかと、至るところに驚きがありました。苦しみの原因を個人に求めて行っても袋小路なのですが、歴史に学び、自分の中にある感覚は歴史に由来していることや、体制に影響され感じている不安感であることなどが徐々に分かってくると、頭が働くようになっていました。
万葉時代に見られる性愛は、「生む性である女性に主体があった」と読んだときには衝撃が走りました。女性の同意を得るために男性は真剣だったと書かれ、歌に気持ちを表現し、講座の中でも先生がお話くださっていたように、結ばれるまでの苦労があったと知るだけで、自分はなんて愚かな間違いを犯したのか、と、唖然とすると同時に心の中が晴れてくることも感じました。表現力が豊かでなければ幸せになっていけないと分かると、幸せになっていける道は閉ざされてはいないことを体感し先が見えて来ました。

質問させて頂いた中で、一夫多妻妾制に見られる男性の自由と表現しましたが、先生のご指摘の通り、それは自由ではなく、男性社会における男性側の性の放縦さであり、それを容認せざるを得ない自分の被支配者側の意識が自分には残っていることを自覚しました。結婚制度として民法で定められたことがある一方で、自由権があり、個々人の自由が保障されている現代で、その自由をどう活かしていけるか、すでに会社の在り方から実際に変化が起こっていることを例に挙げながら、生活スタイルもこれから自由を表現しながら新しくつくっていけることを先生のお答えから体感しました。実現できるかどうかは、一人一人の能力にあることをわかり、だからこそいだきに出会わせて頂いて、こうして本当のこと、これからの生き方を教えていただける機会があることの、強力な意味が会得されました。

またもう一つ、大きな発見は、男性と女性がいかに異なるものの捉え方をしているのか、とわかったことです。女性は内面的にわかっていくのに対して、男性は、観察意識が強く、観察してものを理解しているとわかり、まさに分かり合えないと苦しんでいた理由が氷解されました。内面は瞬間瞬間変化し、いっときとして同じことはないのに、それを外側から観察していれば、その変化は捉えられず、同じ様に見えるのは当然だと受け入れることができました。事象は同じように見えても、中身は全く違うことを当たり前としてわかる自分の感覚と同じようには相手は捉えていない、その事実を理解することからスタートしました。そう考えれば当然使う言葉もお互いに違う中で、男女はわかり合うことができるのか、その差異を乗り越えることはできるのか、という疑問が次の問いでした。先生は、一言できると、仰り、身体が合う、ということを教えて下さいました。事実そこに自分は行きついていないのです。しかし観察意識でものを見て、男性が女性を支配してきたこれまでの在り方では先がないことは明瞭で、先生が伝えてくださっている方向へ変容するよりないことは、共通認識です。

経験が言葉になって、言葉になったことが、経験されていく、ということがとても希望です。コンサートによって、また講座の中で新しい経験ができ、それを言葉にすることによってこれまでとは違う新しい経験を日常の中につくっていけます。昨晩はよく眠れ、今日のコンサートに臨めますことを心から感謝いたします。

KEIKO KOMA Webサロン
素晴らしき響き
KEIKO KOMA Webサロン
結工房にて-1
KEIKO KOMA Webサロン
時を逃がさず