コンサート
久々にコンサートを開催していただいた昨日は身体にまとわりつくものや生命とずれる意識などを整理して整えていただく時間が必要でした。しかし今日は第一音より、準備万端でした。大いなる世界の現れを第一音から経験でき、首を垂れ、音に通ずる内面を辿ることに集中できました。コンサートの2時間は、大変濃密で有意義な2時間でした。ただひたすら熟考し、自分の人生を考え、今後の取り組みも含め多くのことに気がつき答えを得ました。自分の人生のスタートと言えるような経験や、ある時々に人生を方向付ける「言葉」や「出会い」があったことも、コンサートの中で想起され言葉になっていくことで、原点や動機が明確になり、この先何をすべきかまで見通せることを経験します。原点や動機が明確で正しいことは継続してゆく力をもっていることもわかります。第一部には先日の対談でお聞きした伊達政宗や、明治維新の時など日本の未来をつくるため生きた武将たちの魂を感じ、国体と言われた日本人の魂は今再び日本の未来を創るために必要であることを強く感じていました。身分や立場にかかわらず誰もが日本の未来を考えこの国が強く繁栄していくことを願い考え働いた時代があったことを感じました。現代はコロナ対策にとっても、オリンピックの開催においても明らかに日本人の精神も魂も何もないかのような有り様が露呈し、どれだけこの国の存亡を危ういものにしているかを痛感しました。しかし一方でこの国には国体と言われるほどの本来強い精神や魂があることを感じ、自分の中にもその魂は宿っていることを受け容れたとき、またしても自分が女性であることを悔やむ気持ちが沸いていました。女性であることで引っ込もうとする反応は執念ほど自分の中にあるものだと苦笑します。実際に身体は怯み、自分が国の政策等にも頭を働かせ国家の未来を考えていくなんて無理なことだと思う一瞬、女性であるも、男性であるも関係なく、やらねばならないことはやらねばならないのだと強く正されていくようでもありました。今はなき武将たちの奮闘も、この大地には永遠にあり続けていると感じるのでした。内面に働きかけるピアノの音は第2部はさらに深く浸透し、未来を創る生命は決して国家を代表するような上の人間であるとは限らず、むしろ民間の女性であり、男性であり、子供でさえその可能性があるのだと教えられました。性別も年齢も関係なく、宇宙から働きかけるエネルギーを内面に含む生命は誰でも人類の未来に寄与する可能性に満ちていると感じました。内面に語るような優しい音に触れ、思わず生きることの苦悩を打ち明けていました。生まれたくて生まれたわけでも生きたくて生きているわけでもないのに、でも生きなければならない苦悩、、と。その時どこかあきらめのような気持ちが沸きました。生きていくことに抵抗していたことに気がつきました。そして抵抗することを手放した時、生命の中には言葉に尽くせないほど沢山の生命が宿っていることを発見しました。菌類、植物、動物、あらゆる生き物が共に共存し、成長し、変化しているその営み全てが生命の中に含まれている有り様が見え涙が流れました。最後は内面は宇宙とひとつでした。宇宙の成長と相違なく自然全体が発展している中に人間も存在し、人間は人間同士仲良く暮らすことは当然の未来だと感じました。表現される先生は凄すぎて手二本で表現するには足りないほど大きな拍手が生まれます。
本当にありがとうございます。