コンサート前夜
すっかり意欲をなくし、ほとんど“引きこもり”状態の浪人生に、明日のコンサートを勧めたが、うまくいかなかった。「一緒に行こう、チケットはこちらで用意してあげるから、とにかく行ってごらん。」と迫ったが、「京都の紅葉を楽しみに行くのも気が進まないのに……。」と、外出を渋る。「人生はつまらない。」「何もかも無駄でしかないでしょう。」「うまくいく実感がが持てないから、気後れしてしまう。」などと、自分を正当化し、悪いのは、今の日本であり、資本主義体制であり、教育であり、果ては中国が許せない、と批判の言葉が尽きない。しかし、だからこそきみ自身から変革していくしかないではないか、すぐに結果が出なくてもいいではないか、いつも感覚をよくしておくことが大切ではないか、と迫ったのだが。「家で、本を読んでいたい。」という気持ちを越えさせることができなかった。かれとは、いま、白井聡の『武器としての「資本論」』を詠み、資本主義社会での中での「包摂」「疎外」について勉強しているのだが、なかなか自分の問題として把握させられないでいる。いや、わたしなどは、だからこそコンサートや講座に行く必然性を感じているのだよ、と語るのがやっとだった。