コンサートへ向かうプロセスから学んだこと。
3/3のこの日の京都コンサート会場に向かうとき、求めていた化粧品のお店に偶然出会い購入することができました。空いていたパレットがきれいに埋まり、心もきれいに埋まりました。その店の店長が私の身に着けていたマーブリングのショールを見てきれいですね、何かされているのですか?と、尋ねられたので、高麗さんのマーブリング作品で寄付金の代わりにいただけるのですと、またその時身につけていたヴェネチアンネックレスやマーブリング衣装も、その持ち主の内面の光を現していること、モノや建物は壊されても、人間の精神や光は永遠に壊すことはできないと、身を守るお守りなのですよ、と告げ、東山の高麗ギャラリーカフェの名刺、KEIKOKOMA Selectionカード、コンサートチラシなどをお渡しすると、よいお話をありがとうございますと仰られ、分かれました。心模様作品やマーブリング衣装は心が華やぎ見ている人も心がオープンになってくるのだなと社会を豊かにする役割もあることに改めて感じます。会場では高麗さんとご挨拶できたことが何よりの喜びです。
コンサートの先生の御衣裳には心目ざめるような赤が目に飛び込み、高句麗だ、と感じましたら、鳥肌がザワッと立ちました。コンサートで演奏されるピアノの音をお聞きし、あまりの迫力に、先生はど真ん中で闇の世界と対峙されていると、わかったとき、少しでも邪念がよぎったとき、なんという状態で生きているのだ、このような自分ではとても駄目だ、と申し訳ない気持ちになり、心立て直し、音を研ぎすますように目をつぶり集中し聴いていました。
この度の京都コンサートのパイプオルガンの演奏に世界全体、地球全体のゆがんだバランスを整えているように感じ、このようなこと、先生しかできない、先生は人類の宝、と感じました。宇宙はるか彼方から、先生の存在をこの地球に運んでくださったことに、感謝の気持ちが涙となって流れました。そして、21年前に初めて先生に出会い、それからずっと経験させていただいた各コンサートでの出来事が走馬灯のように目の奥に見え、その時はわからずにいた音から伝えて下さっていたことに一筋の光がまっすぐに今に届き今、私はここにいる、そして、これからもずっとともにと、すべてを先生にお任せした今であることに、人生とは?なぜ、生まれたのか、の意味を知り、あとは実現するのみです。
このたび、お越しくださいました会場の近くのお方ともご挨拶することができましたが、その方は「なんの集団ですか?」と仰いますので、正しく理解につなげていっていただきたい気持ちから、コンサートのはたらきが記載されています、本音で生きて下さい、の御本をお渡しさせていただきました。また帰りの電車の中では隣に座っていた見も知らぬご婦人が、私がコンサートに参加した人だと一目でわかったらしく、話しかけてきました。
「何か、お話しもあるかなあと思ってたけど、お話はなかったのね。私はちっとも感じなかったの。自分はだめだなぁ。」と悲観し仰います。「そうなんですか。ぜひ2、3回続けてご参加下さい。より感じられるようになると思いますよ。本を読まれるとより、身に入ってくると感じますよ。」と告げ、本音で生きて下さいのカラーチラシ、この度のコンサート会場からはいただかなかったと言ってましたので、持っていたチラシすべてを差し上げることができ、講演会へのお誘いもさせていただき、最後に名刺交換もでき、ホッとした心地で、その方とお別れしました。
先日2日の迎賓館コンサートでは私はとてもよい経験をさせていただきました。
「一人たりとも無駄ないのちはないのです。。」、との第一部のメッセージが心に響いています。
コンサートへ向かうプロセスから学ぶこと、コンサートの経験していることは目に見えない日常でも同じように起こっているのだ、ということです。ど真ん中は、瞬間瞬間、世界の平和を願い、生きている状態でありますことを外しては、闇に加担しバランスをとってくださっていると感じる大切な方にどれだけの負担をかけていることなのか、と言葉にします。
今日の迎賓館コンサートもどうぞよろしくお願いいたします。