コンサートの後は天ぷら定食
食欲戻ったので、京都駅地下の天ぷら専門店に行き、好物を食し、やっと現実に舞い戻った感覚になる。やはり、「イダキシン・コンサート」は特別だし、究極の救いだし、命を取り戻す場なのだと確信する。
パイプオルガンの音響の中にいると、大自然、大瀑布の傍らに佇んでいる思いがし、「不安定な個人」が癒され、新たな力を得ていくことを体感した。そして、なぜかもう死んでしまった母や父、家族、友人までもが脳裏に去来し、「お互い大変だったんだね」と和解(別に喧嘩していたわけでもないが、仲が良いわけでもなかった)しなければと思う自分がいた。過去と折り合いをつけ、新しく生きていく以外に道はないんだと思う。
ピアノの音は、わたしには「治療」そのもの。しかも、思考力も表現力も一時体外に取り出しての。だから、もう手術台に載っているようなもの。それにつけても、先生の表情の真摯さに、厳格さに、甘えてばかりいる自分が情けなくなる。「分からない」とか、「自信が持てないとか」とか言ってないで、自分の足で進むしかないではないか、そして、それは自分勝手にとは別なことで、そのために、こうして先生に会い、この場に居るんだと心が叫んでいた。
会場の空席が目立ったことが、なにか自分の「欠落」のようにも感じた。そして、東京からの人も多いことを知り、わが身の都合ばかり優先してしまう自分が情けなかった。いくら誘っても来ない人を説得するのではなく、とにかく、自分が一変し、エネルギッシュに、その人のそばにいれば、必ずコンサートにも同行するはず、と思いつつ、「命」の蘇生、「愛」の力を明示してくれるこの場を、あらためてすごいことと思った。ほんとうにありがとうございました。
今日、もう一回、上映会とコンサートで先生の会える! 誘ってくれたスタッフの女性に大感謝です。今夜は「トンカツ」の予定。 (2024.7.12.)