コロナを超えて いだき・ルネサンス
新型コロナ対応により いだきしん先生のオンライン講座が始まってからずっと、「自分は今、何がしたいのか」を考え続けていたところ、6月28日の5回目応用コース直前に閃きがあり、答えがくっきりと浮かび上がりました。そのまま講座で表現させていただきました。先生との対話から話は約30年前のシナイ山の頂上でご一緒させていただいた撮影のお話と神の空間のことになりました。
あの時、シナイの山々と先生が生命交流しながら撮影されている状態をカメラ助手として二日間ずっと間近で体感させていただきました。高麗さんがとても楽しそうにされていた大きな岩の上で同行のスタッフもダンスをしていました。先生は岩の上に上がろうとされてもどうしても上がれなかったのが不思議で、シナイ山はずっと心に残っていました。
あの時のシナイ山の神(モーゼが出会った神)と先生の「あの時」の対話の中身を30年ぶりにお聞きすることができました。先生が出会われた神、存在はカメラでは撮れなかったということもお聞きし、先生が世界中を歩かれて神々と対話され、交流されている状態を数多く身近で経験させていただいた自分の身体が30年を経てやっと今、開花し始めていると感じます。
京都のジェンダー、応用、存在論と続く講座で「意識は二つある」と、かつてよく先生が話されていたことの真意をお聞きし、フロイトやユンクの潜在意識、無意識の領域と顕在意識であることをあらためて教えていただきました。かつて先生が新しい老人ホームの構想が見えず困っていた時に、小金井公園で桜を見た瞬間に、福祉の世界に飛び込むキッカケとなった幼くして亡くなった田中ひでこさんのことを、スクリーンに流れる映像のように思い出し、意識の流れを取り戻されたこと、そして老人ホームの構想が生まれたことを話されました。
その体験は、プルーストの「失われた時を求めて」で描かれた「意識の流れ」のことでした。意識の流れと創造性のお話をじっくりとお聞きした京都の存在論の日からわたしの中で意識が流れはじめたように感じましたが、うまく表現できないまま28日になりました。
最近、何か閃いた時にそのまま表現するとそのことに関する人が現れ、動きが始まる経験が増えてきています。そしてコロナ禍を経てリアルとオンラインでの講座がはじまり、リアルに先生とお会いしている経験とオンラインの経験を反復するうちに何か新たな世界の登場を予感しはじめていました。
約30年前の講座の時に「情報化社会を待っていた」と先生が仰った時から情報化社会の新しいコミュニティ創造が自分のやりたい社会事業と輪郭はありました。先生と出会う前からすでにテレビ局を活用した地域活性化策に取り組み、人や風土を体感するために地域住民と共に番組を創りながら熊本の98市町村を5年間ほど自分の足で歩き続けました。先生との出会いから行脚は全国に広がり、ご縁のあった市町村に住み込み、住民と一緒になって形にする地域の番組化、情報発信を仕事にしてきました。
コロナ禍で急激に普及したオンライン会議やネット中継については、わたしはすでに25年前、当時ネット使用代が1日50万円もする時代から幕張や熊本の辺境と言われる人吉まで、全国各地で実施していました。ネット回線を活用した地域住民自身による番組づくりが地域活性化策として有効と捉えた日本最大手のストリーミング会社が向こうからネット回線を使って欲しいと提供してくれました。
今回の先生のリアルとオンラインの講座スタイルはそういう意味では仕組みとしてはずっと前からやってきたことですが、中心が先生と高麗さんなので当然人間性が全く違う高度な生命や神の世界のことを伝えるネットワークになります。さらにその場には高麗さんのマーブリングの服があり、生命の農業があり、目の前に先生コーヒーがあります。
先生を中心に哲学するサロン、 Cafe、・・哲空間と高麗さんをリーダーとする人間ネットワーク、その人達が生産する暮らしを豊かにする品々が一体にある生活空間です。日本中、世界中にこのネットワークを巡らせることが、人助け共同体ネットワークになり、神界ネットワークと人間ネットワークを融合していく世界唯一の卓越した いだきしん先生と高麗さんとわたしたちの新しい國創り、平和活動になっていくと見えたのです。
そして自分はどうするか・・、意識と身体が繋がり、ロマンをいっぱい感じて、愛に生きる。いだきアントレプレナーへの道が開き始めました。
いつもありがとうございます。