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ギフト


 今年の初めに戦争がはじまり、「対話」つまりお互い腹を割って話す場はないのであろうかと考えていました。対話の源は、愛や出会いであるようにも感じていましたが、対話の以前のものとはなんであろうか、ということを考えていました。
 応用コースで、①表現されていないから自分が自分のことも表現できない、②いい自分を親がそのままわかってくれたら(親もわからない・親がふたをしていく)・・・ピアノでふたがパカパカあいていくとのお話をお聞きしました。
 私の目の前のお客さんは、記帳をきちんとしていくと、売上があがったり、本当の自分のしたいことが実現したり、体調がよくなったりと、私が席をかわってもらいたいと感じるくらいでした。私は、答えや結論が先に浮かんでくるのでそこをもとに記帳を面倒みさせていただいているのですが、そのときに、いわば本体のお客さんを精確に言葉で表現していることがわかりました。寸分たがわず。当人のお客さんは皆口をそろえて「自分をこんなにほめて下さるのはここだけ」といいます。私は、全然ほめていないのです。ありのままをありのままの言葉でお話しているだけです。仮に上記にあるように、お客さんがうまれてはじめて自身を表現されたら、つまり自分が自分をつかめたら、いのちを感じられたら、なんていとおしいんだろうと思うのかもしれません。さらに、決算書が綺麗になるように、つまり、お客さんが潜在的に求めている人生になるような記帳の仕方をお伝えすれば、お客さんにとってこんなに夢中になることはないことと思います。
 3点ございます。
 1点目。11月の京都コンサートでは、バルコニー端を希望しましたがバルコニー中央のチケットでした。なんで中央なのかなあと考えながら席に着くと、目の前に私の妻がおりました。粋な計らいに、スタッフのかたにあとからお礼を伝えました。
 2点目。わたしの希望は家族とご飯をたべることです。12月の京都コンサートでは、妻と息子と私が並んで聴かせていただきました。帰りの新幹線では、3人並んで夜ごはんを食べました。いだきしん先生からのクリスマスプレゼントと感じました。
 3点目。年末、自宅に寄ったとき、妻がお昼にハンバーグをつくったので食べていかないと言われ、息子と3人で食べました。そのときに、遅く起床しアイルランドの留学から帰った娘から、留学から帰りました、と自分の口から話がありました。かつて、娘の高校時代に1年位会話がなかったことがあったのですが、家族で湯河原のエルルカンビスにいき、炭火焼の米沢牛を別に注文して食べた瞬間、娘が「パパこのお肉おいしい」と自分から言ってくれたときの感じと似ていました。また、かつて私が昼食の弁当がない時に、小6の娘がハートマークの「のり」弁当をつくってくれたことや、娘がいだき受講で先生に「パパとママはいだき受講しているのになんで仲悪いの」と質問したことなどが瞬時に思い出されました。娘には「将」のコーヒーをもたせましたが、ホストファミリーとおいしくいただいたということでした。しばらくして、息子が、にこにこしながら、自分の部屋を出たりはいったりしていたことが印象的でした。
 ありがとうございます。

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