わが名が……!
先日も、『滑走路』という映画を見て、原作になった、歌人の萩原慎一郎(32歳で自殺)のことを思い、「いじめ」「非正規雇用」という過酷な現実生活の中で、「短歌」を詠み続ける現代人の存在が気になって仕方ない。歌舞伎町のホストたちの『ホスト万葉集』にせよ、なぜ彼らは和歌なんだろうか、と思う。日本語と短歌をどうとらえるべきか、これが国語教師としての、今のわたしのテーマなのである。それで、藤井貞和の『〈うた〉起源考』という分厚い本を読み始めたのであるが、その精緻な研究と、情熱的な態度に圧倒されて、ついつい居眠りが先行してしまうのであった。ところが、その本の中に、わたしの名前が出てきたので、いっぺんに目が覚めてしまった。もう20年くらい前に発表した、秋田県の習俗「金澤八幡伝統掛唄大会」のレポートに触れての記述があったのだ。あらためて著者の資料収集のすごさにも驚くが、なにかわたし自身が励まされたような気持になったのである。自慢したいのではない。自分のやっていることなんて、何の成果にもつながらないし、何かに貢献できているものでもあるまい、という「僻み」か、「詠嘆」か、そんなものに溺れて、腐っていた態度を鞭打たれたように思ったのである。ちょうど一生懸命働いているのに、批判を受けたり、あまり認められもせず、収入にもつながらず、自分の無能さに落ち込んでいた時だけに、ハッと思い直すことができたのだ。なに怠けているんだ、なに不遇を託っているのだ、コツコツやっていくしかないのに!一歩でも一ミリでも、わが駒を進めなければならないのだ、と思い直すことができ、元気を取り戻すことができたのだ。