より豊かな表現を目指して
昨日は、仙台電力ホールにていだきしん先生のコンサートを開催くださり、また参加させて頂き、誠にありがとうございました。
最近興味を持っていたこと、考えていたことは、生命体を構成する細胞についてです。当然のことかもしれませんが絶えず動いていることにまず驚きました。何かに命令されるわけでもなく、ネットワークで繋がり、相互作用の中で緻密に動いているように感じました。肉眼では見えない世界で起こっていることなので、神秘的と感じましたが、現代の科学でわかっていることだけでも学べば、これまで神秘的と感じてきたことよりも、もっと深い世界で起こっている奇跡があることをわかるだろうと直感しました。そして先生のピアノの音がどれほど生命にとって良いか、良いというレベルの話ではなく、どれほど生命輝くかは、まだ学んでいない量子物理学によっても明らかになっていくに違いないと期待しています。細胞膜を通じて細胞同士は絶え間なく情報交換していることなど、少し知識を得ただけでも、生命全体の情報量は莫大であり、そのわずかを言葉にしようとするだけでも、大変な言語量になるのではと想像してしまいます。普段の壊れてしまったと言ってもいい日常会話やSNS等のやり取りでコミュニケーションが取れていると思ったら大きな間違いで、言わずとも生命の声をわかってくださる、いだきしん先生のお働きや、目に見えない世界、人の運命までも素通しで見えてしまう高麗さんの秀でた能力が、どれほど生命からみたら真っ当であるかとわかります。
昨日のコンサートにて、肉体と空間の境が全くなくなる時を経験いたしました。何かに包まれるということとも違い、体がなくなってしまったのではというほどに溶け合う経験でした。生命やさしいこと身に染み、感謝よりありませんでした。この音を聞いたら、経験したら、誰もがまさにメッセージにございましたように、内面は言うに及ばず全身に充足していくと確信いたしました。同時に感じましたのは、自分が使っている言葉の不十分さ、汚さ、曖昧さ、未熟さです。もっと素直に、正確に、緻密に、今感じたことを表現したいと強く感じました。あ、っと感じた瞬間に、その時感じたことは通り過ぎてしまうので、今感じたことをどう表現しようかと迷っている暇はありません。特に、相手がいる場合です。つい、黙ってしまうこともありますが、あまり黙ることもできませんし、適当なことは言えません。少し違ったニュアンスで伝わっても、異和したり、わだかまりが残ります。さらに言葉にはそれぞれが捉えている意味があり、そのまま伝わっているかも不確かです。大きな変化は、こうしたことを不便と感じるよりも、もっと表現力を豊かにしたいと内から望むようになったことです。拙い表現であっても、気持ち通じた時は心臓あたりから一気に熱くなりますので、この感じを広げながら、もっと豊かに表現していけるようになりたいと望みます。
そしてコンサートやいだきで経験させていただいていることを、活動でも日常生活でも表現していく上で、言葉を豊かにしていくことが今の課題です。今日から次のコンサートへと向かい活動を開始いたします。
ありがとうございます。