やる時はやる
先日ケアマネの方から、嬉しい報告がありました。母がベッド柵につかまり、寝返りが出来るようになっているというのです。そのことを聞くと母曰く、「医者も口ばっかりで当てにならない。周りがいつできるようになったのか驚くけど、毎日自分でマッサージしてるからだよ。やる時はやる。」と、きっぱり言いました。母の名言は、いくつ目だろうと感心してしまいます。お泊りの時の対応で、「痛い」と言うと「痛いと思えば痛い。痛くないと思えば痛くない」と言う若い男性職員がいるそうです。聞こえないように小さな声で「馬鹿」と呟くと、「えっ」と聞き返されて聞こえたのかと思いながら「痛いから痛いって言ってんだよ」と大声で言い返すそうです。思わず大笑いです。更に「根性曲がりだね」と言うと、その「根性曲がり」が通じないから更に嫌になるそうです。母がそのことを普通に話すので、ついおかしくて笑ってしまいます。先週、初めて麻痺した左手で薬を掴もうとしましたが、今回は食事の時から出して、自分で食器を持とうとします。コップを傾けすぎてこぼしてしまい「駄目だな」と呟きますが、すごいなと思います。いつから母は、こんなに変わったのでしょうか。笑わせてもらいながら、挑戦する母から見習うことばかりです。「漬物が、なぜ出ないのかね。何かないのって聞いたら、お寿司のガリが出た。美味しかった。」と言って、私が即席で作った胡瓜と塩昆布の浅漬けを美味しそうに食べていました。食べたいものも食べられないのは、辛いことです。週一回だけでも私が帰る時は、敢えて毎日お泊りの食事で出ないものにしようと決めています。「施設に入れられなくてよかった。」何気なく言った母の言葉に、ドキッとしました。預かることに限界があると言われ、施設の見学に行くよう勧められて見に行ったことを母は見抜いているのでしょうか。結局、申し込みはしていません。お金がかかっても、可能な限り今のスタイルで行くと決めたからです。そして、母は変わりました。驚くほど食欲があるので「今日はよく食べたね。」と言ったら、「今日はじゃない。今日もだ。」と即座に言われ苦笑しました。言葉は正確に言わなくてはいけません。雑草で生い茂った父の庭ですが、先週は咲いていなかったクリスマスローズが、いつの間にかいくつも花を咲かせていました。雑草の間から顔をのぞかせて咲く姿に、その健気さに涙が滲みます。春は近いです。