やめることはやめ
今日もいだきしん先生の応用コースを大変ありがとうございます。お話は身をもってわかる経験をしていますので、先生のお話により抜け出していけますことに感謝よりありません。感性、感受性についてお話しいただき、改めて考え、見直しました。できないままにしていることも感性が鈍いとはその通りと納得しても、実際やっていることに唖然とします。いだき講座、コンサートにより飛躍的に感性が良くなっていますので、日頃の生活や仕事の場面で活かしていかねば申し訳ないです。途中、先生から頭が痛そうだと話しかけていただきました。いつも死にそうな人に会ったり、限界にある人や場所に行った時に痛む場所が痛んでなりませんでした。先生は今の社会の状況や人の生きている状態は全て限界にあるとおっしゃり、その理由をお話しくださいました。まず目的意識はいらないとおっしゃいました。今日の私はやることが多く、やれやめることはやらねばならないと自分を追い込み、頭が忙しくうるさくてなりませんでした。途中、深呼吸しながら自分を取り戻しました。目的意識により周りが見えず、やらねばならぬ意識で疲れ、自分が何でもしないといけないと自分を脅迫する意識となり、人ができないことは自分のせいと思い込み、自分でなんとかしないといけないと焦るのです。おかしな状態でした。本当はずっとおかしいのです。今更おかしいと気づいたのだと感じています。今までずっと同じにやってきたのです。もう限界です。頭も体も教えてくれています。コンサートメッセージにて教えていただきました「天庭」は額の奥にあると教えていただきました。頭がちっぽけであるとつぶしてしまうとのこともよくわかります。私はコンサートで宇宙に通じている体感がありました。頭がちっぽけでは何も考えていけません。スマホ脳は大きな問題ですので、スマホの使い方を考えることは常に必要と甚く感じます。スマホ脳であれば「天庭」をわかる状態ではありません。人間でなくなってしまいます。また信仰の体系も枠を作っているとお聞きし、深く合点がいきます。先生に出会う前のキリスト教の信仰体系は未だに頭に刻まれ、自分を罪深いと追い込み、ちっぽけにしていきます。いい加減枠を外せばいいだけと今日は見切りをつけていけそうです。年齢のせいと言われたくないのに、年齢のせいと言ってくれる医者に行き、年齢のせいと言っていただき、安心しているとのお話しは他のケースにも当てはまります。以前、年齢のせいと言われたことをお話しした時、そんな医者にいかなければいいとおっしゃっていただきましたが、そこよりないのですと言っていたのです。言われたくないなら行かなければいいのにとは真にその通りです。嫌と感じているのにやってしまう癖もいい加減やめたいと心から感じる毎日です。今までの頭では生きていけない時代です。自然の生命と一つに生きていきたいと心から望みます。過去は秋が寂しく感じていました。が、ある年に五女山が真っ赤に染まる紅葉の時に行った時、詩に表していますが、「木の葉は枯れ落ちても、生命は新しい生命が生まれる喜びあふれる」ことを生命で感じたのです。苦しかった夏を乗り越え、秋風が吹く今、実りの秋に向かう自然の生命とひとつに実りゆく生き方をしていければいいと感じた時、心がやすらぎました。意識でやらねばでは、疲れます。また時間の切り売りとの表現も痛く心に刺さります。先生に出会え、運命解放され、感受性は飛躍的に良くなっています。お話がありましたように、盛岡では銀河鉄道に本当に乗ったかのような体感なのです。大きな世界に身を置き、感受性も発想もまるで変わります。真に活かしていきたいです。先生からもお話しいただきましたが、次は三鷹でのコンサートと「高句麗伝説」で銀河に飛翔したかのような経験ができます。人生の宝です。皆様と集えますことを心から願います。人類史上初めて運命解放され、真の自分で生きる真の人生を生きていけるのです。人類が滅ぶか否かの瀬戸際にある時代に生まれ合わせた人生です。そして先生がおられ、運命解放してくださり、私たちは新しい人間となり真の人生を生きていけるのです。先生にお会いすることは生きる上で何よりも一番大切であり優先すべきこととはお会いした時から感じていました。お金や、この世の都合により先生に会えない生き方は、とても残念に感じます。皆でやりたいことをし、起業し、生活することと仕事がひとつにやれればいいといつも考えます。それができれば国創りでもあります。ひたすら行動し道を作りたいと考えます。ありがとうございます。