ひがみ
姉弟構成の真ん中の性分なのか、人知れず物凄く「ひがみ」を持っている自分がありました。これも自己中心とわかります。長年自分でも何でそう捉えるのかと戒めますが、思考回路が自動的にそっちに向かうようになっており、ドツボに嵌ってしまいます。ですが、やっと抜け出せると感じます。ずっと「ひがみ」と言っておりましたが、自分の存在の不安が、そもそも元であったとわかりました。やはり子供のころからのことで、子供の頃から自分がいていいのかと不安であったのだと至り、笑ってしまいました。何と愚かなことかと今は感じます。これも存在否定でしょう。また、このことに気づいてすぐに表現をすればよかったのですが、眼の調子もあり後回しにしてしまい、それにより、携わる方々にご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳なく感じます。もうやめます。高麗さんを中心とする活動の中で、自分の意志がどうあるのかに尽きることと学びました。ありがとうございます。昨日となりましたが、アントレプレヌールサロンでのお話。こちらが後になり大変失礼を致します。数学の表現も芸術なのだと感じ、また二次元で実は多次元を表現してきたことも、計り知れない情熱を感じます。人生のプラン、営業のお話、人のために生きているのか、改めていくことばかりです。昨日は、その前の日に読んだ ある冊子に書かれていたことが頭にチラついておりました。ウクライナ戦争に注意が集中する中、他での迫害がエスカレートしている現実があることです。そんな中、外国人が多く住む六本木で、ある「白人」の差別的な言動に「ムラッ」ときてしまい、こういう輩が社会の歪みを作り出している、何とか消せないものかとかと怒っておりました。そこで、先生の「生命体は差別しない」という言葉に解決の糸口を掴んだようで目の前が明るくなりました。自分の中でも差別の意識があるので、こういう巡りともわかります。「何人」というより、生命体として感じたらどの人も受け入れられるのではないかと感じられるところです。
ありがとうございます。
本日もコンサートがありますが、よろしくお願い致します。
田嶋利江子