はじまる
「はじまる」ハッと目が覚めた朝でした。目で見たのか、声を聞いたのかはわかりません。はっきりと示されたのです。京都は怖いほど自分が大きく変わる経験を、何度もしています。京都に向かう朝、示された言葉。はじまるのです。
先生の言葉を、高麗さんがビデオ講演会で何度も仰る度にドキッとします。「多くの方を受け容れているのに、私を受け容れないのはどうしてか」いだきを語るPart2の先生へのインタビューで、この言葉を語られた先生の顔と声に胸が揺さぶられました。それなのに、その日の書込みに表現しないで別のことを書いたのです。それがずっと引っかかっていました。だから高麗さんがその先生の言葉を表現される度に、表現しなかった自分が居た堪れないのです。自分の狡さ、先生を利用するという言葉がぴったりです。都合のいいように自分勝手な解釈をして、出たり入ったりしている限り、何一つ変わるはずもありません。高麗さんが仰る通り、「わかっているけど変えられない」は、自分への都合の良い言い訳であり、わかっていないどころかわかろうとすらしていない自分に気がつきました。愕然としながらも、京都に向かう今です。