KEIKO KOMA Webサロン

はじまりの愛


存在論、応用コースの二つの講座からコンサートまでの経験は愛に溢れる瞬間瞬間を絶え間なく経験する最高の日々であり、幸せな人生を丸ごと経験しました。

23日の朝から二つの講座で何が起こっていたのかを書くことに集中し、「今に生きる過去」が次々とわかってきて、書き終えると正午を過ぎていたので高麗屋を目指しました。長い列に並んでいると克哲さんがご近所に迷惑にならないよいうに列の整理をしながら皆さんへ声をかけられていて、雨が少し降っていた寒い外気も高麗屋の周りはすっかり温もりに溢れていました。

漸く中に入ると愛麗花ちゃんが珈琲を淹れている姿が目に入り、エチオピアの大地から生まれたコーヒー、現地の方々によって育てられたコーヒー豆をいだきしん先生が山元町で焙煎され、先生のエネルギーを全身に受け入れた珈琲豆が愛麗花ちゃんの珈琲に成り、静かに流れ落ちる香りが高麗屋内に漂っていました。愛麗花ちゃんの傍で笑美ちゃんがてきぱきとサポートされ、細やかな気遣いが心地よい愛ちゃんのウエイトレスさんに案内されます。愛のど真ん中で生まれられた先生のご家族の愛溢れる空間で高麗さんは安心して一人一人の表現に集中されているように感じ、私自身も高麗さんの表現をゆったりとした状態でお聞きでき、高麗さんの書で今の自分自身に気づかせていただきました。愛麗花ちゃんの珈琲とチョコは見事に口の中で溶け合い、とろけて一つになって恋の予感が生まれました。高麗屋さんでの愛の経験を全身に受けてコンサート会場に向かいました。

先生のコンサートではピアノとパイプオルガンで脳内も身体内も時空を超えて駆け巡るように全身が宇宙エネルギーで充満していく体感があり、脳も身体も先生の音に「身を任せる」ように安らぎました。

昨日から今日にかけてこの稀有な経験を何度も書こうとしましたが、中々ことばにならず深い眠りを経て漸く書いています。これまでもこのような経験が自分の中で一過性に終わらず、今日からの日々の暮らしとひと続きで生き、周りの人々と交わり、次のコンサートや講座をまた経験し、次の日常で生かし、応用することをしてきたと自分では考えてきましたが、この二日間の経験で今回は自分自身が受け入れられる容量に莫大な差があることに気づきました。

日本語で器量と言いますが、これまでの経済優先社会でよく言われていた豪胆とかという意味ではなく、愛を受け入れ同時に表す器量と感じ、深い眠りが全身へ行き渡る愛の経験であったと気づくのです。かつて先生から”はじまりの愛”をお聞きした時に <「愛のはじめ、あるいは はじまりの愛」が時により「他の人の評価まで気にしながら成立したり、愛というのがはっきりしないままにはじまっていた」こともあり> とのメッセージで自分にも確実に”はじまりの愛”はあると勇気づけられました。存在論、応用コース、高麗屋での幻のコグリョカフェ、コンサートが続いたこの数日は “はじまりの愛”の表現がピタッと来ました。

アルコールなど身体に余計なものをできる限り抜いて、先生の講座やコンサートで闇や隙間に光が差し、身体の循環を良くし、愛に満ちる身体づくりがはじまる大事な日でした。講座での質問に答えていただいた先生の一言に気づかせていただき、この数日間を密に経験させていただき、心より感謝致します。いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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高麗恵子スカイロケットセンターにて
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府中の森芸術劇場ウィーンホールにて
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