KEIKO KOMA Webサロン

なにがしあわせ


この清涼な空気、音、水の流れ・・・目に見えなくても明らかに体感として違うという世界がいだきしん先生のコンサートには、ある。頭がついていかずに体で感じると、ずっと痛かった首、肩、背中を美しい音色が通り過ぎ、きれいにして、痛みを連れ去ってくれる。この空気。静かに目を閉じて呼吸をする。現実的なことの兼ね合いで本音を忘れることがある。それでもこうして生きられる場を体感する。

表面的に見えていたり『そんなものなんだあ』とぼんやり見ていたものは全然『そんなもの』で本来良いわけがなく。『多様性』というレベルではないようなもっと低い次元で、表面を突き破ればみんな表面的に合わせていただけで、本当はみんな全然違い。ああ、なんていうことだろう。ただいだき講座が凄かったこと、いだきしん先生が凄かったことだけは覚えている。でも皮が一枚一枚剥けていくごとにこんなにも絶望的な気持ちになる。高麗恵子さんがいだき講座のときやそのほかのときにそんなにも苦しんでおられたことはビデオ講演会があるからその後私にも知ることができたけど、いだき講座を受講した当時はそれがなく、もしその後もビデオ講演会の配信がないままだったら私は知らないままであっただろう。なんて恐ろしい。そしてこのように知らないままで、知った気になっていることは他にも山のようにあるのだ。これまで何も考えずに勢いだけで講座やコンサートへ飛んでいっていたことも、色んな人がいるその中に、なんの危険も省みずにおめでたく飛び込んでいたその愚かさに背筋の凍るところ。わかるとはそういうことだ。

多様性の時代、色んな人が居て良い、むしろ色んな人がいるのが当たり前で、他者も自分も認めていくことだ、という内容を耳にするようになって何十年か経つ。そんな馬鹿な、あれだけみんなと同じにしろと言われて育ったのに、と、体が信じ切らないまま時は過ぎたが、どうやらこれは本当らしい。みんなから見て自分は『違う人間』で構わないし、どうやらそれは当然のことで、本来の人間の繋がりやコミュニケーションはその『違い』を前提としているらしい。しつこいけどだったら長年義務教育で身に付けてきたことって何だったのとまだ思ってしまう。あんなに長年苦労して身に付けてきたこと、棄ててきたものは、『成熟した大人』になることを放棄するためにやってきたようなもの。なんのための若いうちの約15年なのか。でも止まっていられない。次の人らがどんどん育つ。愛を経験して広げていく。強くなるよう鍛えていく。

コンサートをありがとうございます。

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東京にて
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府中の森芸術劇場どりーむホールにて-2
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府中の森芸術劇場ウィーンホールにて