ど真ん中に向かい
シリアの映画上映会で心に火がつきました。シリアでの実際にあった戦いの現場を映画にし命ひとつに戦う兵士の心に引き込まれていきました。戦いは夜も休まず続けられることを分かると、恐ろしくなります。かつて日本に原爆を落とされ、それに至るまでも日本にむけて、何発あればこの地区の住民が死滅していくと、綿密に計画がなされていた大空襲があったことなど計画が進行していたことがわかると身震いするのでした。それらは全て消え去ってしまったのだろうかと考えました。東日本大震災があり、その頃自分は実家に戻っていたのですが居間のTVに映った衝撃なる外国の映画の映像は、人が川の中に流れていく映像だったのです。それを目にしたとき身が凍るような思いでした。その数日後、東日本大震災後が起こり、多くの方々が水に飲まれ流されていきました。単なる偶然であったのでしょうか。シリアの映画を見ることができ、この日本の大地のことを考えないわけにはいかなくなります。とはいえ、自分に何ができるというのか問うても答えは出ませんが、夜中もなにかが蠢いている気配は気にならないことはなく、日本の外で今も続けられている人間の命がもののように殺されていくことがまかり通っていることを無視するわけには行かない気持ちです。心に火がつき、ボランティアミーティングで珍しく発言させてもいただき、もっともっと自分の気持ちを表したいことがあったのですが、言いませんでした。コンサートを満席にすることが戦力になることよりありません。そして、少しでも向かうよりないのです。日本が二度とあのようなことにならないためにも、シリアは大切なことを私達に教えてくれたと感じています。高麗さんと先生がシリアで100回記念の高句麗伝説を開催され、私は会場の場のシリアの官僚の方がたの真後ろにいました。あの場で経験したことは今でも鮮烈に覚えています。先生の太鼓がすごかったこと。それによって空間が変わり騒がしかった官僚の方々も一気に何事が起こったのかと正気になられ静かになられました。シリアの映画が終わったとき私の胸に生まれた言葉は、多くの海外の方々に、先生のコンサートを聞いていただきたい、でした。あまりにも怖い夢を見て、先程起きてしまいました。今いる仕事は昨日でケリをつけ、包摂から抜け出します。今年最後に会える友達となった人には、来年の年始めの高句麗伝説に向けてクロージングし、返事を待つのみです。ど真ん中を目指し、明日の京都応用コースはライヴで、1月1日の迎賓館コンサートもライブで、そして、1月2日の京都コンサートに向かいます。ありがとうございます。