どこまでも透明な
あまりに透明な美しい音の連なり、仙台コンサートの透明な水色の世界に惹き込まれました。
どこにいても時々神の宮と呼べるようなある世界を体の奥深くに感じ、体の奥にある宇宙は内と外の境を無くし全体とひとつになる体感でした。自分と感じていた自我が消え、もっと大きなものに委ねる時、自らの存在が光そのものであることに気付きます。
わかってもらえないという悲しみが、先月から湧いてきて、表現出来ない苦しさになっていきました。膨大なエネルギーが湧けば湧くほど、このことを分かち合い先を創ることの出来ない辛さがありました。
先日の応用コースをお聞きして、目的をもって動かれていたということではないというお話を先生からお聞きしたことで、今の自分が感じている不安定さの中にあっていいのではないかということを改めて感じました。不安定な動きの中で創っていくこと、新しい動きに戸惑いながら進んでいます。
個々の光が輝くほどに世界に光が広がっていくこと、新しい世界に向けて自分を表現することがこれからの課題と改めて思えてなりませんでした。
自分をあらわすことに殺されるような恐怖があって隠れるように生きてきました。でもそのように生きるために生まれた訳ではなく、やはり自分をあらわすために生きるのだと、改めてNPO高麗の一人一人が輝き生きられる社会は平和な社会なのだと、私もその一員になりたいと感じてなりませんでした。尊い気付きをありがとうございました。