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どうか力を与えてください


コンサートの間、突然胸が苦しくなり、瞬時に自分のICUでの心肺停止が蘇ると同時に、愛犬の状態なのかと過ぎりました。帰宅し「ただいま」と玄関の扉を開けると迎賓館のサウンドシステムが流れる中、「キャンキャン」と彼が鳴く声が聞こえました。初めての事なので慌てて部屋に入ると、息遣いが荒くいつもと様子が違います。抱き上げると、驚くほど体重が軽くなっています。慌ててかかりつけの動物病院に電話しましたが留守電。緊急事態と分かり、PCで救急動物病院を探し連絡。「住所はどこなのか、今飲んでいる薬は具体的に何か」等、詳細を伝えるのももどかしくその間も苦し気に呼吸を荒げて鳴き続けているので、ついイライラと「先生、とにかく苦しがっているのです。連れて行ってもいいんのですか」と、声を荒げてしまいました。タクシーを呼び準備しながら、「そんなはずはない」と心のどこかで叫んでいました。「コンサートの朝に感じた風が、何かが終わるとは、次に向かっているのはこんなことではない。今までだって先生のコンサートの後に、奇跡が起こり乗り越えてきたじゃないか。」力なく横たわる愛犬を抱きながら否定し続けていました。食べている量に見合わない排便は、匂いがいつもと違うと瞬時に分かります。夜間動物救急センターではICUにて酸素吸入のみ、その間に先生と腎不全悪化と心臓病は治ることはないので、いかに終末に向けてこの仔が快適に過ごせるか、治療させることがベストなのか、かかりつけの病院と話をするよう言われました。少しでも食べたいものを探し、床ずれにならないよう工夫する等、人間の介護と同じだと。帰宅しても酸素ハウスの中で私を呼ぶように、「キャンキャン」と鳴き、体位を変えたりしました。朝5時には酸素ハウスの中にいても苦しそうなので、薬をあげると同時に抱っこしてさすっていました。先生の「一緒にいる」ってどういうことだろう。私が入院中に先生を感じ身体が温かくなり、助けて頂いた時をずっと考えていました。私は今、「この仔を助けてほしい、頑張って、死なないで、どこが苦しいの、まだママの仔でいて」等、全部自分の都合ばかりで泣いている。この小さな身体は、今も頑張って生きようとしているじゃないか。余計なことをして彼に負担をかけるのはやめよう。温かい小さな温もりを黙って抱き、胸に手を当てると早鐘のような心臓の音が伝わります。骨と言う骨が尖って出た身体を撫で、辛い、苦しい、そのままいること、ただ一緒にいることが、我を捨てていることが、こんなにも難しいと思い知らされました。掌を通じての温もり、それだけがありがたく、今生きていること、目の前の姿や現象ではなく、生命そのまま共に抜け出せたらと願います。願う事すら違うのかもしれません。今は何も口にすることもなく、静かに酸素ハウスで横たわっています。大きな瞳が瞬きする姿を見つめつつ、「どうか彼に力を与えてください。」と、やはり願ってしまう自分がいます。今日のコンサート、よろしくお願いします。

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