とんでもない今
京都北山のコンサート前には、必ず府立植物園に行きます。いつからか、それが楽しみとなりました。コンサートのタイミングで訪れる四季折々の花々。今日は雨上がりの為、鳥の鳴き声も空間も洗われたように清らかです。足の赴くままに歩き、花と出会い、写真を撮る。映る花の表情の美しさに、幸せが満ち溢れるひと時が大好きです。
高麗さんの書込みを拝見して、コンサート会場に向かいました。迎賓館コンサートに引き続き、ただならぬ京都コンサートです。「闇の脳を超えて」タイトルにドキリとしながら、メッセージをお聞きしました。先生の演奏が始まれば集中です。自分が巨大な樹木となり、大地からものすごい勢いで何かを吸い上げて、果てなく上昇し続けていました。永遠に続くかと思われる、その凄まじい体感のまま第一部が終わりました。第二部「存在のままに」コントロール、制御不能、心から願います。第一部で樹木となった私の中は、凄まじい勢いで不浄なるものは、すべて吹き飛ばされていました。何もなくなった樹木の存在、空洞となった中心に光のエネルギーが、凄まじい勢いで注がれます。宇宙エネルギーです。またしても目が眩むような勢いの中で、母の存在が一瞬そこに在りました。母も京都に来たのかと安堵したら、突然頭の位置がピタッと決まったのです。ズレていた位置から、カチッと音を立てて頭が確かなる位置に納まりました。その瞬間、更なる宇宙エネルギーがドッと注入され、その凄まじい心地よさは永遠と感じるほどです。第一部、第二部ぶっ通しで、とんでもないコンサートだと言葉もないままアンコール突入です。私の大好きな生命のフレーズが流れた瞬間、生命の煌めきを見ました。あまりにも美しく煌めく光に魅了されながら、コンサートが終わりました。拍手してもしきれない、この経験を表現しきれずにいます。とんでもない今を生き、第一歩が始まり、美しい満月の光に照らされ帰ってきました。ありがとうございます。