ともにいきる
盛岡にきています。
高句麗伝説から表現できずにいました。8月23日の高句麗伝説から変わったことはひしと感じていたからです。
高句麗伝説を何度も体感してはいましたが、好太王様を近くに感じ、初めて存在を感じ驚きふためきました。好太王様そのものを受け継がれ、現代に生きる高麗さんがされていることそのものと感じ、「出会った魂はともに生きる」はまさにいま、わたしが高麗さんとの出会いと感じました。魂は知っている。魂はわかるからこそ、高麗さんのもとへ集うよりない魂と感じます。
京都の応用コースで、先生が心臓の「あ」の方に出会い、心臓の位置が正しい位置に戻り、心臓が治ったお話しを伺い、心臓の色はピンクと伺っていましたので、まさに高麗さん!高麗さんは「あの人だ!」と「あ」の言葉は、宇宙!「い」は、いきるに通ずるものがあり、高麗さんは宇宙の壮大な方と感動を覚えました。
行商が始まってから、魂の表現がわたしの中で課題となっていて、魂の表現を頭で解釈しようとしても違うとわかってはいます。
からだは素晴らしい経験を沢山しているのに、頭が過去の考えの癖が抜けず、マイナスになっている感じ、この頭は違うと紙に書いて整理はしますが、自宅(実家)に帰ると、書きながら倒れるように寝てしまいます。8時間睡眠がまさにそれです。寝る土地、寝ている人からの影響が大きいと感じることがあり、変えるよりないと感じ行動し始めています。いまの住む場だと、地に埋もれる感じもわかるので、誰と一緒にいきるか!が凄く大事とわかります。
誰といき、誰とともにいきていくか!まさに未来を創る先生、高麗さんとの出会いが急務と感じます。作品展や講演会の動員が未来です。
今日も沢山の方にお越し頂けるよう表現します。