それぞれの性分
二、三日前から体の感じがおかしいなと思っていたら、一昨日の朝に蕁麻疹が出ていました。両手に出た症状を見た時、やっぱりなと体の正直な反応に驚きます。正に自分を抑え込んでいました。そして、相手のせいにしていたからです。沸々としたものが蕁麻疹として現れ、当然の現象に苦笑しました。酷くならないうちに痒みを止めた方がいいと考え、会社の近くの皮膚科に行きましたが診療時間が変わっていました。ネットで調べても休診等で行けません。そこではたと気づいたのは、根本原因が分からずして対処療法は違うということでした。しかもコンサート当日です。なるほどと気づき、仕事に集中することに切り替えました。一つ一つの事象に教えられます。コンサートは途中参加でしたが、第二部の「冒険」のメッセージに無性なるよろこびが溢れました。演奏されていらっしゃる先生の姿、ピアノの音から、動くとは、世界を変える体力つくりとは、講座でお聞きしたことを目の当たりに見ました。細波が見えます。琵琶湖でしょうか。大海原へと続く光景は、ティールの岬で叫んだ私へと続いています。既に高句麗伝説が始まり、世界に向かっていました。アンコール終了と同時に、思わず飛び出た言葉は「うんざり」でした。正に自分そのものです。それなのに、うれしくて堪らない気持ちでいっぱいでした。うんざりしている自分に別れを告げました。蕁麻疹はきれいに消えていました。翌日、お客様からうれしい感謝の言葉をいただきました。仕事に対して、一つ一つ丁寧に向き合おうと姿勢を改めます。今朝は、せっかちで心配性な母から電話が入りました。毎年行う五月の母の誕生日のお祝い会を、具合が悪いからキャンセルしてほしいと言うのです。恒例のドタキャンに対して、またかと怒るというより「まだ先、大丈夫」と明るく元気に笑い飛ばしました。楽しむより先に、プレッシャーで具合が悪くなる母です。親子であっても、それぞれの性分があると今は楽しめるようになっている自分に気づきました。亡き父の写真が「今更変わらないよ」と微笑み、愛犬の写真も笑っています。そうだねと頷く今です。コンサートのお陰で、楽になりました。ありがとうございます。