すべてが学び
東北センターでの催しはぬくもりあふれ、ただ居るだけで幸せを感じます。今日も「本音で生きてください」講演会にて映像を見ていただく試みをしました。皆で取り組むことは内から力が溢れます。講演会に向かう時、沸々と喜びが湧き、感謝の気持ちが溢れてきました。本音で生きる人生を語らせていただく時、いつも奇跡の人生を生きていますことに感謝ばかりが溢れてきます。岩手県のご縁も不思議と、いつも盛岡にて講演会をさせていただく時、先生にお会いできる前に、体が動くうちに北へと行きたい気持ちで、東京から北上し、岩手県にたどり着いた時のことを語りたくなります。北上川の辺りを歩き、水面に美しい光を見、「生きていく」と胸の内に光が灯ったことを今でも昨日の様に覚えているのです。話せばたったこれだけのことですが、私にとっては忘れられない経験となりました。先生にお会いできるまで生き永らえることができた経験なのです。先生にお会いした時にこの時のことをお話させていただくと、自分の生命の光を見たと教えてくださり、夢を見ている様なお話と感じながらも生命の内では深く合点がいったのです。今日もこの時のお話をさせていただくと、驚き、とても興味を持ってくださった方がおられました。とても嬉しく感じました。私はこの様なお話をさせていただくことが幸せと感じます。そして通じ合える人がいることはとても嬉しいです。自ら講演会をオンラインショップでお申し込みくださりご参加くださった方でした。コンサートのチケットもご購入くださったと知り、この様な出会いがとても嬉しいです。
温もりの内にビデオ講演会までさせていただき、最後に先生のお話も皆様とお聞きでき、東北ならではの尊い貴重な機会をありがたく感謝します。ここではお聞きすること、経験することが全て身になっていく様で、とても深い経験となります。
部屋の前に流れる川が冬は木の葉がないので、よく見えます。冬の薄い光が差し込む川面に語りかけ、駒ヶ岳にご挨拶をし、盛岡を後にしました。帰路の車中では自分の我の強さを思い知り、辛くなりました。何かを考えるとすぐに頭が動き出し、自分の思う様にしようとします。思う様にならないことは辛く感じることを自覚すると我が強いので、こうなるのだと嘆きまで出てきます。この我をなくす修行をしないといけないと考えると今日は発狂しそうになります。あまりに越えられそうもない我について、先生にどうしたらなくなりますか、と思わずお聞きしてしまいました。なくならないよ、との一言をお聞きし、辛さが消えました。なくそうとしてもなくならないとわかります。最近よくお聞きすることも思い出しました。直そうとするのではなく、学習すれば良いとのお言葉です。よく英語の文法の話が出ます。文法の間違いを直すのではなく、ちゃんと勉強すればいいと先生は何度もお話くださっています。自分が表現したいこと、やりたいことをできる様に考えできる様に行うことが先に向かうこととわかります。
ここ数日間は全体的に頭が空っぽという状態が見えていました。今日は、頭が空っぽでありながら我だけが強い図形が見え、我という黒い枠によって生命の働きを押し込め、潰していることが見えると、なんて愚かな現代人でしょうか、と人の姿を見て我身をみるということを考えました。気づけば、やっていられない気持ちとなり、何とかなくしたい気持ちとなりました。が、なくそうとすると気が狂いそうに苦しくなるのでした。それも我であると気づきます。生命の言葉を表現し、生まれた気持ち、本音を表し、実現に向かえる様に動いていきたいと望みます。
家では「高句麗の今」を聴いています。初めにメッセージが聞こえ、「生命賭して命から命へとつながり、高句麗の今です。」に震えが走ります。その前は、「とどまることなく 弱音など無縁。ひたすら強く、生命賭して。。。」と続くのです。「男、女、共に 強いこと強いまま 美しいこと美しいままに 命、魂を育み 新たな世界創造の一歩を過去を振り向くまもなく進みます」全身震え、力が湧いてきます。このメッセージ通りに生きていくことを望みます。
明日、すでに今日となりましたが、1月11日に開催しました「高句麗伝説」上映会サロンを開催させていただきます。とても楽しみです。今は全てが学びであります。ありがとうございます。