じょっぱり
高麗さんがこれまでにもよく表現されてきたことですが、いだきしん先生は鏡ということが連続コンサート以降、とてもよくわかる日々です。透明な存在であられる先生が瞬間瞬間に表現されることを100%そのまま受け取れれば完全にありのままの自分の姿がそのまま見えるのでしょうが、一点でも曇りがあればクリアに見えないまま過ぎ去ってしまいます。
艮の金神のあの激烈に荒々しいやさしさと有無を言わせぬ一貫した在り方は大好きです。男は黙って、、いや、女も黙って、、の津軽の「じょっぱり」精神の徹底した人間性、やさしさこそ日本人の源流と感じます。「親の言うことも聞かないのに何であんたの言うことを聞かんといかんのじゃ、と、あらゆる存在に、きっと崇高なる神々にも仰ってきた いだきしん先生の津軽魂は最高にかっこいいと感じます。自分の中にも何故(なにゆえ)か深く隠されてきた激しい魂の存在を感じます。
隠されてきた全ての存在が顕になる今、素直に生きること、「誰が何と言おうが俺は俺だ」「わたしはわたしだ」という存在がありのままに表現される時を迎え、やはり黙ってやり続けることの真を見出します(・・と言っちゃえば黙ってではないのですが・・)。表現の難しさをつくづく感じます。曇りを全て無くし100%の自分で生きる未来を目指します。刺激的な毎日をありがとうございます。