しるし
新しい時代のはじまりを浄めているかのような嵐の幕開け、高句麗天を祀る日の三鷹コンサート、そしてその翌日のビデオ講演会をありがとうございました。
胸の疼くような震えるような感覚をコンサート中ずっと感じていました。特に第二部で雲を下に眺めるようなどこまでも広い空、手前に回転する太陽のような光の球体を頭上に感じました。天照と内側からほとばしるような声なき声が生まれ、注がれる光に体が細かい粒子になってひろがっていくように感じました。額にしるしを受けるように天からの光が注がれ、光の柱が中心を貫くような体感でした。
様々な歴史の因子が今の人間の世の中を作っていることを知るにつれて、自分の源はなんだろうと感じてきました。縄文に心が躍動する反面、東明王様の詩や音色にも心が動く、高麗さんのようにははっきりしない自分の源流をどう捉えていいのかと感じてきました。今回も高句麗の天を祀る日なのに天照大御神となるのはなぜかと戸惑いました。
29歳で母が急死し身寄りがなくなった自分としては、もっと幼いもっと厳しい時代に孤独を味わった東明王様の心を思います。動物や自然を友とする中で、東に必ず昇る太陽に希望をみていらしたのではないかと。名は本質をあらわすと言われますが、東をいつも明るく照らす太陽ようにそのように在りたかったのでもあり、そのような御方だったのだと感じています。
その流れをくむ高麗さんの講演会を翌日に直接お聞きでき、新しいはじまりの時を共にさせて頂いたようで嬉しくなりました。外では稲光がまるで白い龍のように美しく舞っていました。自他の区別なく、そうでありながら個が尊重される時代、厳しいこれからの時代を生き抜く心に何もない在り方を教えて頂きました。新しい時をありがとうございました。