お正月
31日からの経験を書き込みせず失礼を致しております。12月末辺りから心に暗澹とした雲があるようで、何かに呑まれているのかと考えます。数年前から、書き込みには「おめでとうございます」と書きましたが、新年のお祝いを声に出すことができない状態でありますが、これを吹き飛ばすくらいに「ちゃんと」ありたいと感じます。31日は不思議と’The First Noel『まきびとひつじを』’が頭の中で繰り返してばかりの一日でありました。恐らく、事の神聖さを内で理解し、曲がなっていたのかと考えます。お食事は、その時は食してはおりましたが、後からの記憶では神々しいものをこの身に頂いた感があります。お肉とスープとごはん、そして先生のお話とがセットで神聖な時と残ります。そして翌日の迎賓館コンサートでは、身体が大改造されているかと感じられました。私の身体が歪み捻じれているため帯を締め均一に圧がかかると歪みが正されるのか、背中から肋骨辺りがどうしようもない痛みにさいなまれてしまいました。使わない筋肉を使ったのだとも捉え、日頃の姿勢も考えます。しかし背中に違和を感じた方も幾人かいらしたので物理的なことだけではなかったのかもしれません。そしてピアノの轟きは凄まじく、舘ごと自然界のエネルギーの脈と繋がり共鳴、また反響しているかのようでした。インターバルでの地震は、やはりドキリとしました。すぐにスタッフの方が扉を開けにいかれ、流石と感じます。扉枠が歪み開かなくなることがあるからです。情報ではそこまでの被害がないようにあったのでどこか安心しておりましたが、時間が経つにつれ、被害の実態が段々と広がり、「あの時」もそうだったと迂闊であったと感じます。知人は翌日あたりに雨が降り、近所にあちこちと火事がおこり「あの時」と同じと思い出しておりました。同じ1月です。私たち始め今までの大変な被災を教訓に、県、市、または自治体が備えていますようにと祈ります。日本各地どこで起こってもおかしくないことと本日改めて伺い、自分の自覚が薄れていたことを認めます。「あの時」の寒さと不安は精神的に参る人も多く、自分はただ気が張っていたので自覚していませんでした。せめて電気が通れば気持ちが和らぎ、また暖も取れるので早く通りますように、また何よりもすべての方が救出されますようにと祈ります。そして昨夜のアナウンスでの「深淵」では、正にとんでもない時に突入したと感じます。「深淵」を辿ると「本質」とのことに、生死の狭間で本質が顕れると受け止め、今年は元旦より色々なことが起こっており、生死の分かれ目の年なのかもしれないと身が引き締まります。またコンサートでの自分の在り方に日常の食生活が思われてしまいました。この身は何を食べたかで成っているので「ちゃんと」在るにも「ちゃんと」食べて「取って」いないといけないと思い知らされる二日間でありました。「いのち・愛」のメッセージは、本日の質問での「毎日が繰り返しの虚しさ」への受け答えにて、日常的な「いのち・愛」である姿勢のヒントを頂いたと感じます。観念的愛もどきは、日常に何もしていないことから実態がないので観念的になっているとも感じられました。社会において何をするのか、自分は社会性とも捉えます。更に、正念場でどうあるのか問われる今年であると感じられ、自分は何をつくって行くかとヴィジョンが浮かびます。
ありがとうございます。
田嶋利江子