KEIKO KOMA Webサロン

おおいなる存在と一体


3月3日、晴天に恵まれ、要のコンサート日を迎えました。家にいる時はスマホで BBCニョースを聞きながら、身支度等をしています。人間のやることかとあり得ない悪行に対して世界中の人が何もできないなんて。。。とやりきれない気持ちでいっぱいですが、私は今日の先生のコンサートに賭けています。目に見えない世界をわからずに無視し生きていることがどれだけ愚かなことかと考えながら、私は目に見えない世界も目に見える世界も全てわかり、人間が生きていける世界を作り続けてきてくださった先生のお働きを考え、ここに賭けると希望を託してきました。時間ぎりぎりで目指してきました、半数席がいっぱいとなり、ありがたいです。やりきれない気持ちで要のコンサートを迎えることは申し訳ないと感じていました。幻のコグリョカフェもたくさんの方々にお越しいただき、ありがとうございます。今日は過去最高のお客様でした。

メッセージを見た瞬間、ドキリという音が聞こえる程に驚きました。

「おおいなる存在より」極め付けと身を正します。

「究極の光。いのちの奥の奥の奥に届き、失われた時を回復し、失われた時を修復し、新たないのちに目覚めます。共に生きて、この時を共感し、集えることに感謝です。

専制主義との戦いは続きます。一人たりとも無駄ないのちはないのです。自由には支配と差別はありません。」

パイプオルガンの音はおおいなる存在でした。おおいなる存在と真正面に向き合い、すぐに一体となりました。私の内におおいなる存在が共に在ってくださいます。もうなにも恐れることはなく、おおいなる存在と共に生きていけることに喜びを超え、感謝を超え、「生きる」エネルギーに満ちあふれます。私の心からも頭からもウクライナのことは片時も離れません。報道の信憑性は時折考えますが、たくさんの人々の生命が失われ、多くの人が負傷し、建物や街は破壊され、家族も離れ離れになり、国を離れていっていることは事実です。何故にこのような酷いことができるのか、そのようなことを行う人の頭の中はどうなっているのかを最近は考えるのです。今日もコンサート中、祈りながら、そのことを考えるのでした。私はおおいなる存在と一体となれたので、これ以上求めることはない在り方を経験させていただき、感謝よりありません。胸の内は感動で打ち震え、涙、涙でした。

第2部「おおいなる愛」

「愛の尊さ いのちある限り

今までどのような愛を経験しましょうが、どれほどの表現をしましょうが、これでよしということはありません。その時々に満たされ、仮に何ひとつ欠けることなくても、欲求をこえて、さらに愛は創造し、新たな愛の世界を成してゆきます。愛には飢え、乾きはありません。」

一部のピアノも2部のピアノも私にはおおいなる存在、神々が一斉にはたらき続けてくださりそのはたらきはこれ以上ない程のはたらきをし続けてくださっていると見え、感じました。この尊いお働きを無視できる人間は人間ではないのだと感じました。先生もおおいなる存在も、このはらきを無視できない世界を作り続けてくださっているとも見えました。多くの人の生命が亡くなることを何も感じることなく過ごす人がいるなら、このような人とは何なのかと再び、その中身が知りたくなります。おおいなる存在はどのようにされるのかと考え、聴かせていただきました。おおいなる存在は頭の中に介在して来てくださいました。働かない頭をはたらくように風通しが良いようにしてくださいました。ふと、些細なことですが、やってみたいことが浮かびました。毎日尊い生命が失われていくことは耐えられないことであります。止められないものかと考えても自分がどうすることもできないと思うよりありませんでしたが、演奏中に、どうすることもできないと思う頭ははたらいていない故と気づきました。おおいなる存在が介在してくださってからは、どうしようもないと思うことがいかに愚かであったかがわかります。頭の天辺のある場所には闇が見えました。ずっと自覚し、なんとかならないかと考える場所でした。ある時に目を閉じ調べたら闇が見えました。身震いしました。闇は高句麗が滅亡に至る時に覆われたと感じていました。闇に覆われたので国が滅んだと受け止めてきました。闇は滅びゆくとは見えてわかります。今も人の生命を犠牲にする闇に生きる人は滅びゆくと見えます。私は高句麗が滅んだことが今でも無念でならない自分の気持ちに気づき、驚きました。滅びゆく方に向かうことは怖いです。頭にかかる闇を見ながらこのようなことを思っていましたら、本当に滅んだのかと、どこからともなく問う声が聞こえました。国は滅んでも美しい魂は在り続けるとわかり、真に生きた魂は滅ぶことはないと目が覚めました。今も美しい魂は生き続けているのです。今も在り続ける先祖の魂を感じ、涙しました。これからも美しい魂で生きていくのです。

おおいなる存在が私の頭の中に介在してくださったように、人間の頭の中に関与し始めていくと見え、これからはおおいなる存在を無視するかのように生きることはできない時が来ると見えました。おおいなる希望を感じます。頭がはたらけばどうしようもないはなくなり、どうにかしていくように考えていけます。たくさんの可能性が見えました。ピアノから続くパイプオルガンの圧巻の演奏をお聴きした時に頭の中にある闇を押し出そうとしてくださっていることに気づいたのです。押し出された時に、おおいなる存在の介在に気づいたのです。世界中の人間の頭の闇を押し出し、追いはらってくださっているとてつもないはたらきを見ました。日本の京都の地にてまさかこのようなことが行われていることを誰も気づく人もわかる人もいないでしょうが、人間は変わらざるを得ない時がまもなく来ると見えます。生命を犠牲にする頭では生きていけない時が誰にも来ると見えます。生命を活かしていくようにはたらいてくれている頭を抑え込んできた今までの生き方は終わります。

アンコールのピアノ演奏は生命ひとつ、やさしいことを経験し涙しました。生命ひとつで生きている人は共に涙するでしょうと、心の中でつぶやき涙しました。2部では愛の風と呼ぶ演奏に深く感動しました。初めて愛の風をお聴きしたのは2年前に本来であればモスクワのコンサートホールにて先生のコンサートを開催する予定であった日に、コロナ禍で中止となり、迎賓館にて開催した時です。愛の風は私の内ではモスクワの風ともなっているのです。世界中の人に愛のエネルギーが伝播しますことを祈ります。世界中の愛ある人が立ち上がり、これ以上酷いことを行えない空間を作っていくことはできると考えます。今日の先生の演奏を聴いたならば、またこのエネルギーが届いたならば、愛ある人は立ち上がると見えたことが希望です。要の要のコンサートでありました。そして明日も迎賓館でのコンサートです。ここに賭け、臨みます。ありがとうございます。

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マドリード展示会場より
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京都高麗屋にて
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