いのちの炎
武蔵野のコンサートをありがとうございました。
何度も来ている会場にも関わらず、今回初めて聴くような音の響きに音量がすごいと感じましたが、よくよく考えると自分の体感の問題なのだとわかりました。それほどまでに今までは膜がはったような中にいたのだと聴こえる音からわかりました。
叡智の炎たちのぼり、第一部はずっとヨーロッパや中東の風を感じていました。アフラマズダの叡智の炎、円と十字香るバチカンの風、解放感溢れるギリシャの色彩が浮かび、旅をしているような自由な風になったような、空間を自由に動く香る風と共に踊りを踊っているような感覚でした。天から注がれる聖水に体が清められるように、聖水が額に注がれ、清めの水が体の中心を通り、澄み切った意識に頭が冴えわたり、お腹の辺りがふわっと暖かくなって、その光がどんどん膨張していくような感覚でした。
第二部も少し変な感覚でした。嬉しいのか悲しいのかわからないのに涙がにじみ、やっとこの時を迎えたと感じているこころの奥の存在があるような不思議な感覚でした。天へと通じる大きな樹とひとつに抱かれ、源はひとつ愛、そのままを経験しているようなすべてを赦し包む大きな存在と溶け合っているような幸せなひとときでした。
アンコールのピアノで弾かれたあるフレーズが、こころの内側をノックするようで、このフレーズを聴くと心がうずくようなかきむしられるような感覚になり、魂は多くの歴史を経験し、今の時に融合していることを改めて感じました。
次々に限界にある現象をみる中で、先生のコンサートはやはり希望です。本当に参加出来ることで救われていることが、視界がはっきりすることで改めて良くわかりました。至福の時をありがとうございました。