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ある思い


何かと多忙で、何かと疲れやすく、余裕のないまま、12日が過ぎてしまった。ここに書き込みをする気力をなくしているのが気になっていた。(血圧も体重も体温も毎日計測して、特段異常はないのだが、もう何時間でもなられ、通勤の車中でも居眠りばかり。こういうのを「老いの疲れ」と認めなければならないのが嫌で、カラ元気を気取って入るが。)でも、今日は久しぶりに、山岳部の活動に参加し、若い人たち(高校を卒業して大学生になったばかり。かれらの追い出しコンパだった。)の活力に触れ、山荘付近の緑に浸り、ずいぶん気持ちを回復できた。降り続いた雨の合間、少しの陽も射す林間で、焼き肉をし、かれらと登った甲斐駒ヶ岳の思い出などを語り合った。かれらは、あまり登山には目覚めなかったが、それでも異世界に遊んだ経験は、その心身を豊かにしたことはうかがえた。
車中、同僚が語るのは、久元神戸市長は、メモなど取らせずに話を進めていくタイプで、その指導力を発揮しているが、どうしてもメモを取らねば収まらない官僚がいっぱいいるし、その下のメモも取れない下流の人も多いのだとのこと。その話を聞いていて、あることを思い出していた。学校でちょっとした書類を提出したところ、係りの人が「不備があります。」と言って、印鑑まで押して返してきた。見れば日付を記入していなかったのだ。そのくらいちょっと書き加えれば済むことなのに杓子定規なこととあきれてしまった。でも、こういう人たちは、自分こそきちんと仕事をしているのであり、学校業務を支えているのは自分たちだ、という自負心がきっと大きいのだろうと思う。「そのくらいどうでもいいじゃないですか。」などと言おうものなら、きっと大げんかになってしまうだろう。だから黙って従うしかないのだが、「メモを取らねば収まらない官僚」同様、この「真面目さ」こそ諸悪の根源のようにも思った。もちろん残すべき会議録などは別の話だし、文章はきちんと記入すべきだと思うが。アイヒマンたちの種族のようにも思えるのはわたしだけだろうか。

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こんばんは。
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鴨川の畔にて 2