ある人の「看取り」の記を読む
北上のコンサートのチケットが完売にナットのこと、わがことのようにうれしく思います。神戸もようやく春めいてきました。新しく教室も開けそうなので、教材作りに精を出しています。言葉と感覚をうまくつなぐことをテーマにエクササイズを創っています。ちょっと終末介護についての本を読みましたので、以下のような感想文を綴ってみました。
学校の社会の先生で、ニーチェの研究者がいるので、『道徳の系譜』について教えてもらおうと思った。(学校というところは、こういうことが可能だからいいのだと思う。)そのいかにも実直そうな先生は、すぐに自分の研究ノートを何冊か渡してくれ、「それから、これは妻が出版した本なのだが、ぜひ読んでもらいたいと思って……。」と、夫人の署名の『晩年の父と過ごして』を下さった。哲学の方は春休みにでもと思い、早速その本を通読したのだった。
去年5月4日に94歳の寿命を全うされた夫人の父親の最晩年の記録であり、介護された夫人の「独白」であった。とにかく頑固一徹、入院や治療を嫌がり、家族を困惑させるばかりの「父親」を、実家にずっと滞在して在宅介護し続けた奮闘記である。その「父親」がどんな人生を送った人なのか、具体的な経歴もわからない。いきなり「心臓弁膜症で父が目に見えて弱りだしたのは、母の一周忌を済ませ、息子の結婚式にも出席することが出来て、やれやれと思っていたころでした。」から始まるので、いささかびっくりしてしまった。しかも、家族のことも、親族のことも、何の紹介もないので、またご夫婦でどういう話し合いがあったのかもわからないので、いきなり高齢者の終末に立ち会わされたような錯覚に陥ってしまう。だから、その「父親」が宝塚の「ロータリー・クラブ」で講演するところまで来て、やっとかなりの社会人だったこともわかるのである。そして、「戦争体験記」まで上梓されているのだ。かなりの大物だったことが分かるが、夫人の手にかかると、とにかく「気難しい父」でしかないのだ。しかし、一言も触れずとも、夫人が父親を最大に愛していたことは行間からにじみ出てくる。(ちょっと夫の先生がかわいそうにも思えた。)
ともあれ家族も親戚も、医者や看護師も、総動員して、自分が中心になり、父親の死を看取った女性の奮闘記であり独白である。決して読者や近親者に対話しようとするのでなく、ご自分の正直を言語化しているのだ。そうして、最後に、「一時は介護がつらいあまり、父に対して憎悪の気持ちが強かったのですが、書き終えるころには、父への感謝の気持ちが芽生えていました。」と記され、やっと「普遍」を獲得されるのだ。わたしが痴呆症の母親を看取ったときの気持ちが蘇った。あらためて、人の最後をリアルに描くことの「力」を理解した。
それにしても、父親譲りなのだろう、かなりわがままぶりを発揮され、この本を上梓されていることもわかるので、ご主人の愛情、ご家族の温かさ、周囲の人の優しさがにじんでいるのがとてもよかった。文章を書くことの意味合いを改めて思った。