ありがとうございます
不変性により、本来性引き出されるということかと今朝思う。
京都講座の翌日の昨朝、癖の気を遣う・遠慮する無くなっていると気づき、お菓子工場作業中に内面の明るさに気づく。いのちは明るいとわかる。
京都講座の前日、確実を捉え確実性と浮かび、不変性と浮かび、不変性を求めている自分に出会う衝撃も、否定するように忘れてしまっていた。
整理つかないまま京都に向かい、講座にて不変性への希求でいいんだとわかる。と今書いていて、なるほど、不変性を希求する本来性を、阻害するというか阻む大きな流れあったのかとわかる。応用コースのピアノの音、頭頂に響く。とまで書いて、当日会場に向かう時の激しい雨を思い出し、あれは天の喜びだったのかと思えた。生きているは責任ある、環境をつくる、などの言葉響き、正に山小屋で暮らす環境をつくっていくんだと、山小屋内の整理に弾みつく。
内面にいくつもの柱立ち、気遣い・遠慮などの柱、それは中心と錯覚してしまうが、不変性に会うとか不変性を現す音に全身で体感することで、偽の柱無くなり、本来性出てくる。
正に、先生に会いお話聞け、コンサートを会場で聞ける環境は整っている、日本。であり、創り続けてこられ、この時あり、ありがたい。
ありがとうございます。