ありがとうございます。
三鷹公会堂でのコンサートの時、一席に座らせていただくと、急に母のことが思い起こされて、あまりにリアルに感じ、先生の一音がはじまる前から涙あふれいました。母が亡くなる場面は子供の頃からよく夢でみていて、泣いて目が覚めて、母のお布団にもぐりこんで、安心してねむりにつくパターンだったこともリアルにおもいだし、ずっといっしょにいてくれていることを思ふ時でした。即興演奏がはじまっていくと、一音一音がいのちの奥へ奥へしみて、頭のあちこちにもしみていきました。そしてある瞬間から、目の前にキラキラと光る水が広りがり美しい光景に安堵しました。この綺麗な水の流れが一緒にあれば、進んでいけると、美しい世界に出合わせていただきました。空間におこる流れは、愛の風というよりなく、どんどん力が抜けていきました。やっぱり、世界中の人がこの音をきけたらいい。。。と涙涙でありました。
子どもの頃、すごく素敵なおじいさんとすれ違って、風のように素敵で振り返ったら、おじいさんも振り返っていて、お互い会釈しあって、また自分のいく方向に進んでいったこともおもいだしました。一瞬の出会いであっても、一日中、やさしい気持ちでいられて、人はすれ違うだけで元気になれるんだっとうれしくて、そういうふうに成って生きていきたいとおもった日であったこともおもいだしました。
コンサートの翌朝、仕事にむかうとき、何かによばれてふとみると、草が風にゆれて笑っていました。そして、知らない人とも、目があって「おはようございます」「こんにちは」と自然と挨拶を交わしていて、微笑みあえることがうれしかったです。そして、夕方には、マーブリングのTシャツをボディに着せてコナールのあるビルの入り口にたっていただいてるのですが、「今日は、扉を開けるぞ」っとおもって4階にあるコナールへやってきた方が3枚のマーブリングTシャツをお決めくださり、高麗恵子さんと先生のお話しになり、「高麗恵子語り」とコンサートのご参加をお決めくださいました。一日中、夏の草の香りとやさしい風が吹き続けてくれる日でした。
そして、昨日は、コナールのテラスで革のマーブリングをしてくださる場面にいまして、古の尊い空間があらわれたような模様に息をのみのみ、高麗恵子さんの生命から生まれていく模様の歴史的なことに感動します。いっしょに動いていく時、大きな流れのなかにいることをしり、風が吹き続けてくれていて、夕刻には同じお月さまをあおぎ、幸せよりない時をすごしました。
高麗さんの車がみえなくなり、夜空をあおぐとき、
高麗恵子さんの手作り詩集「麗花」の詩の一編が心に鳴っていました。
「夏の夜空をながめ 果てない世界をおもう。。。」「わたしの心が動くと同時に木の葉がゆれた。。」
出会い、詩と共に歩める今 感謝よりありません。
音と詩、道ゆく草花、木、空、風。。。私にとっては、いのちひらく道標です。
いつも ずっと はたらきかけてくださり、ありがとうございます。