KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


 先生 高麗さん
 いつもありがとうございます。

 今年最後の狛江応用コース参加させて頂きありがとうございます。
 『包摂』というはじめてお聞きする言葉 マルクスが今の状態を予見していたというお話しを伺い 上手くは言葉にならないらないですが、何かいつも被さるようにしてあるベールのようなものの正体を感じるような 合点がいくような 巨大なモンスターのよう資本主義経済に取り込まれている事を感じました。
 『包摂』の中に取り込まれている頭で何をどう考えても『包摂』の中の枠 箱の中で、自分では自由に選択しているつもりになっていても、不安や恐怖を煽られながら、心地よい言葉に引っ掛かって、資本主義の市場に乗せられ、動かされ 自由はなくなり自分を失っていくのだと感じ マルクスが約150年前に『包摂』の状態になる事を予見していた事もすごいと感じ、さらにその事を読み解かれる先生はもっとすごいと感じ、一般的には『包摂』はみんなが一つになれるというような良い意味合いで捉えられているけれど…多様性どころか個性を失い自由がなくなる、それも夢見心地で気づかないうちにもっていかれる状態 ネット社会になりアフリカの奥地まで資本主義の市場に乗せられてしまったというお話しに、情報の広がりと比較対象の広がりが本人の意志とは関係なく行われ、『包摂』される状態は分断が起きるのだと…それが今、ガザやウクライナで起こっている事とつながるのを感じました。
 講座でお話しされる先生の口調から『包摂』に取り込まれない状態を体現して下さっているのを感じ、6日三鷹コンサートの『愛するということ』というメッセージの体感や東北の応用コースでお話し下さった事が繋がり、投獄されても 自分は自由であると訓練されたというお話しがストンと入ってきました。
 自分で何かをする事がない 存在を現す事がない 疎外 アノミー冗談は『包摂』される状態なのだと…シリアへの支援物資が運行見合わせで送れないという、辛い状況のお知らせに…何か押しつぶされるようなものを感じながらも、高麗さんの姿勢 書き込みから感じるのは、上手くは言えないけれど、『包摂』に取り込まれない、自分である事の体現のようなもの教えて頂きました。
 人と接する事が自分を取り戻していける事…動かされている事に慣れきって、動く事がわからない、自分が動かしている事を自覚する時と感じました。

 ありがとうございます。

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府中の森芸術劇場どりーむホールにて
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愛のしほり 第2弾