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ありがとうございます。


本日多賀城にてポスティングさせて頂きました。少し前から体調崩してましたが、お陰様で今日は元気にまわることが出来ました。手持ちのご案内を配り終わる頃から雨が振り始め、さて戻ろうかという頃に本降りになりました。とにかくご案内が雨に濡れなければと思っていましたので、天気が少しだけ我慢してくれたようで、大変助かりました。

ポストと一口に言っても、本当に様々なタイプのポストがあることを知りました。中には開け方に一苦労するスタイリッシュなものもあり、個性豊かで面白いものです。カタン、コトン、バタン、ゴトン、と音の鳴り方も様々で、小気味よい音でリズムをつけてくれます。多賀城コンサートのご案内の写真がとても綺麗で、ポストという鍵穴に、ご案内という鍵を差し込んでいくような気持ちでした。

帰りがけに仙台高麗屋さんで五女山コーヒーを頂きました。深煎りと通常と、妻と2人で飲み合わせましたが、ふたつの味わいが全く違っており、どちらもとても美味しかったです。ちょうど高麗屋さんに掛けられた五女山の、緑の輝く写真の真下でいただきましたので、まさに、写真通りのイメージが身体に広がり、2人で感動いたしました。ありがとうございます。

祖父が亡くなる前に、祖父が戦時中、海外のどの戦地へ赴き、そこでどんなことがあったのか、里帰りの際に一度だけ聞いたことがあります。それも私が聞きたかったわけではなく、父親から、おじいちゃんから戦争の話を聞きなさい、と促されたので、仕方なく祖父に話してくれるようお願いしたのです。当時はなぜ突然父が神妙な面持ちでそのようなことを言い出したのか、意味がわかりませんでした。普段あまりしゃべらないし、勝手に怖いイメージを持っていた祖父に、兄と二人でおずおずとお願いすると、優しい顔をしながらたくさんのことを滔々と話してくれました。しかし自分も小学生だったので、何を話してくれたのか内容はもうほとんど覚えていません。ただ、その時に祖父が広げた大きな世界地図を鮮明に覚えています。戦争とはこの世界地図いっぱいに起きたことなのかと、ゾクッとしました。私の知らない、日本から遠く離れた、日本よりも小さな、フィリピンに浮かぶひとつの島。そこを指さした、ごつごつした指の感じが今も忘れられません。その時の祖父の目が、嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない、人の目の中に初めて見た色だったことが忘れられません。この時間だけ、祖父と心が通い合ったような、不思議とあたたかな気持ちがしました。子供ながらに抱えていた、言葉で言い表せない感情のありようのもどかしさを、祖父の目の色にも見て取れた安堵感からなのか、あるいは実は全てを察しながら、寄り添い話をしてくれた祖父の大きさだったのかもしれません。祖父は言葉としては戦争はいけない、とは一言も言わず、終始穏やかな話しぶりでしたが、言外に伝えてくれたように感じました。当時学校の授業で次々に見せられた原爆のショッキングな写真の数々以外のことを私に教えてくれました。しばらくして祖父は亡くなりました。あのとき話を聞けて本当によかったと思っています。

明日もポスティングでまわらせていただきます。ありがとうございます。

 

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