ありがとうございます。
表現をしようとすると、ある傾向でより表現できない自分の状態に限界を感じていました。せっかくさせていただいた経験も、言葉にすると自分の枠に当て嵌めていってしまいそうになり、表現を止めたこともあります。書くとある傾向にハマっていき、自分がある傾向の人間になっていくことは苦しいことでもありました。
そんなとき、あるドキュメンタリー番組を見ました。それは、幼くして命を落とした少女の家族に密着したドキュメンタリー番組でした。そこに映される映像は、自分の過ごす日常では見えてこない、紛れもなくこの世で起こっている現実でした。救いがないと感じる現実は、今の自分では受け入れることはできず、それは自分の言語の崩壊を意味していました。何のために生きるのか、なぜ生まれてきたのか、今まで使ってきた言葉の意味は限定的でしかないことをわかりました。そこから、考え込むことが多くなりました。
自分の生きている環境はこれ以上ないという程恵まれていると感じています。自分でも生きてこれ程までに恵まれた環境になるとは想像もしていませんでした。毎日がありがたいことの連続で、感謝が絶えず、喜びが溢れてくる日々です。ですが、それをそのまま活かせずにいる自分の弱さも感じていました。自分が弱いと環境に甘えてしまい、恵まれた環境も活かせないことを知りました。
5月9日の三鷹コンサート、高句麗伝説コンサート、迎賓館コンサート、高麗さんの講演会に参加させていただき、徐々に現実を受け入れられるようになっていきました。問題が問題ではなくなっていくということは本当に凄いことと感じます。開催してくださるコンサートや講座、講演会などの経験がなければ、思い悩み、受け入れられない限界が自分の限界となってしまい、問題は問題のままあり続ける状態であったとは、容易に想像がつきます。自分自身が受け入れられる体になっていかなければ、結局は頭で無理矢理考えていくよりなく、その状態ではいくら考えても答えは出せない状態であるということは経験させていただきよくわかりました。
この度、迎賓館コンサート、高麗さんの講演会に参加させていただき、大きな壁を乗り越えた体感でした。受け入れられる体にさせていただいたことで問題は問題ではなくなり、ある弱さを克服できました。明らかに自分の力ではなく、大きな働きによりしていただいた状態であり、感謝の気持ちよりありません。
いだき京都事務所にて、講演会をしてくださった後に高麗さんが掛けてくださった言葉の優しさに、心では涙を流していました。高麗さんの下で働がせていただけることは本当に幸せで、高麗さんのためにもっと強くなると心に決めた瞬間でした。
大変尊い経験を、誠にありがとうございます。