ありがとうございます。
言葉の力、最近そのことを実感する経験を致しました。以前、お仕事を頂きお世話になったことのある方が、ご自身の経営がうまくいかず、すべてのSNSを閉鎖したあと、明らかに様子のおかしい独善的なブログを始めていました。このままではいけない、これを続けさせてはいけないと感じ、その方へメールを送りました。
ブログ拝見しメールしたこと、過去お仕事頂き、それがどれほどありがたかったかの感謝と、陰ながら応援している旨お伝えしました。アドバイスも分析もすべき時でないと感じました。そのあとすぐにご返信をいただきました。「温かいメッセージに涙が出ました」と言っていただき、ビジネスを違うやり方で再開し、お仕事もいずれまた依頼します、との言葉にホッとしました。しばらくしてそのブログも全て削除されました。きっとご自身でおかしいことにお気づきになられたのだと感じました。
言葉の持つ、語らずとも語る力を感じました。
どのような文章を書くか、どうすれば自分の内を的確に表現できるか、どうすれば相手に届くか、変なことを書いてないか、いつも書いては消し、いつもいつも時単位で時間がかかり、試行錯誤します。
しかし、いだきしん先生、高麗さんの素晴らしい表現、美を身体全体で経験し、またこのように書き込みの場も頂けることで、お陰様で徐々に身につき、不遜な言い方かもしれませんが、目の前で溺れているような状態の人を助けられたのではないか、と感じています。
いだきしん先生と高麗さんに繋がれた生命のおかげで、世俗に生きているだけだった自分ではとても無理と感じることができることに、感謝よりありません。引き上げて頂き、ありがとうございます。
プログラミングもやってますと、最終的にもっとも必要な能力は「日本語」であると痛感します。いまはローコードで組めるため、たいしたコードを書けるわけではないのですが、ITスキルというのは結局どこまでいってもツールであり、我々が日本語で考えていることをいかに機械に落とし込めるか、という作業のように考えます。そもそもの日本語がおかしければ機械の挙動も当然おかしいものになります。日本語は曖昧な物言いができる反面、非常に論理的な構造を持つ言語であると感じます。法律文章では「または、もしくは」の使用法が明確に分けられていることを本を読み初めて知りました。これはif文の構造そのものでした。
「僕は、死なない」本を読みました。大変な状況からありとあらゆる療法を試し、最終的にたどり着いた境地は、まさにいだきでした。
しかし、運命を解放できるのは世界で唯一、先生だけです。おそらくネガティブとポジティブの統合は、心理学が目指すひとつの領域なのではないかと想像しますが、あえてダブルバインド状態に嵌めて現状の心理構造を破壊し、ひとつ上のメタ認識に気づかせる、というのは療法のひとつとしてあると思いますが、いだきしん先生のなされていることは、次元が違いすぎます。
時々「ただ座っているだけでいい」と冗談混じりにおっしゃることがありますが、それがどれくらい途轍もないことか。ただただ、ありがたい限りです。
芸事といえば、小さなことですが電子ピアノ始めてから一年が経ちました。お陰様でやりたかったピアノの即興演奏も、頭の中のイメージをだいぶ具現化できるようになってきました。もともと音楽理論を勉強していたので、どうしてもコードとトーンの関係性から頭が瞬時に音をモーダルに考えてしまいがちなのがいまの難点ですが、もはや頭の記憶を消せるものでもなく、しかしいわゆるジャズやフュージョンなど既成のジャンルをやりたいわけでは全くなく、それこそ世俗にはまらない自由を表現したいので、うまく感性と論理が一致できるようになれば、自分の内を言葉以外の方法で表現できる素晴らしい相棒になってくれると信じています。このまま続けていき、10年後、20年後にどのような表現ができるんだろうか、と考えるとワクワクします。
いだきしん先生、高麗さん、いつもありがとうございます。