ありがとうございます。
先生 高麗さん
ありがとう ございます。
タイミング悪くコーヒーがなくなり、記念のようにして冷凍庫に取ってあった、縄文コーヒーと白いコーヒーを少しずつブレンドし薄く入れたコーヒーを飲んだら、身体染み渡るように美味しかったです。
ちょうど、胃がひっくり返るほどビックリすることがあり、そのタイミングで胃に鈍い痛みがおきて、なんだ?と感じていたら……びっくりすることが起こる…それまでが、胃が止まっていたのだと…動き出して痛みはじめたのだと気づいたら、痛みが落ち着いてきたところだったので、特に胃に沁み入るように優しく 柔らかく……白いコーヒーは高麗さんが胃が痛い時に先生が焙煎されたコーヒーと伺った事が思い出されて……たしかにーとあたたかい感じになりました。
自分を認める こわいと感じる ちゃんと受け止めるように…と考えると…すごく書くことに抵抗があるけれど…ここでは書けるけど…変な表現だけど先生には読まれても平気…もし、ダメなら消して下さるから…妄想にしかならないような事でも、書ける…けど、人にはそのまま話せない 通じないというのがあるから、だから、ここに言葉にすることは、自分では妄想のような体感でも、自分の感覚だから、自分で言葉にしないという事はしない…と感じ、ずいぶん変な体感でも言葉にするようになり、少しは自分を出せるようになったのでは…と勝手に思っていたけれど…そうでもない事を 自分を認める と 言葉にすると 嫌だーと感じるほどこわい と全然感じている事 はっきり感じました。
だから、どうと言うことはないけれど、11月1日の『高句麗伝説』の時に、高麗さんが『新しい朝』と表現された、新しい空間 とか 次元とか 自分はその次元に行こうとして、両手いっぱいの荷物を持ってゲートを通ろうとして、荷物が邪魔して通れない……大事 大事と必要のないものを持ち歩いているその荷物を手放す時と 感じた事が、胸に浮かび、その荷物の中身が 自分を認めるのがこわいから 守る たくさんの荷物を持ち歩いていたのだと…それをそのまま手放す時 なのだと 感じました。
ありがとうございます。