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 たくさんの講座などで、死については伺っていたのに…昨年11月に『死の壁』のお話しを伺った時に、はじめて『死』が怖いと感じ、それまで『死』をちゃんと受け止めていない、無視していたのだと感じました。
 暗い事はまだ耐えられても、寒いところに一人、特に寒い事は耐えられない…その事が怖いとはじめて、はっきり感じました。全体と繋がる生命という事が感じられたら、温もりを感じられたら、暗くて寒くて一人でも『死の壁』は超えられると、答えも明確にして頂き、意識していたわけではないけれど、極力そちらの方の事はわからないと無視していた事も感じられました。
 同じように霊界とか悪魔とか言葉で使っているだけで、自分にはわからないくらいで終わらせていた事、死に対する恐怖を感じた事で、自分の中の悪魔的なものを感じ、悪魔の『魔』が『間』にも感じられ、今までずっと自分の外身と内側の間に隙間があるのを感じていて、その隙間に入り込む、悪い間とも感じられました。
 そしてあらためて、全体と言った時に、そちら側も含めて全体で、今まで自分は見たくない、怖いから知りたくないと無視して、綺麗な方だけを見て何とかしようとしていた事、片手落ちとはっきり感じられました。
 『まあい』と感じた4月が過ぎ、あたらしい月 『いよいよ』と言葉になり、『いよいよ5月』と言葉になった時に『融合』と感じました。
 昨年11月1日新宿文化センターでの高句麗伝説の時、全く知らないのに知っている新しい空間というより時空が拓かれたと感じました。ただあまりにも馴染み深い、小さい頃から親しんだ新宿の街 通りを見ていると、目で見て耳で聞いて知っている強烈に強い唯一無二と思い込んでいる、思い込まされている現実と、全く知らないのに知っている新しい時空と、どのように入れ替わるのか 融合していくのか 自分の中の事とどう繋がるのかわからないと…感じていました。
 今回の、このへなちょこ緊急事態の最中、いつものように新宿の街を歩いた時に、どのビルもどのお店も、よく見て知っているのに…よく入るスタバに座っているのに、そこに居るお店の人も見たことあるのに、その空間の内側?自分の内側?は全然知らない街 場所 はじめての所のような落ち着かない感覚になっていました。
 
 上手く言えないけれど、どうとはわからないけれど、存在を認める事 死や霊界など無視しつづけた物の存在を認める 認めないと全体にならないと、ふっと感じた時 意図して感じたくても感じられない、小さい頃からある言葉にならない感覚 何か大きな物に包まれている…ぬくもりに繋がる感覚 回路が繋がるのを感じ…死が怖くないというより、原始生命細胞から今に繋がる生命と言葉になりました。

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北の地 美しい秋の日に恵まれました
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