『ファウスト』読了
「人間は努力する限り迷うのだ」(317)から始まって、「どんな人にせよ、絶えず努力して励むものを、わたしたちは救うことができます。」(11937)まで、全編人間存在の虚無でないことを教示しているように思え、崇高な高峰に登山してきたような感慨が体中に満ちている。「山はおれにとって崇高な存在だ。」(10095)――目に留まったところをマークし、書き出して読み終えた『ファウスト』。
ゲーテは、24歳から書き始め、82歳でこの作品を書き上げ、83歳で死去したとか。もうすぐ80歳になるわたしは、20代のとき、岩波文庫を買ってきて、少し読んだだけで、興味を失い、詩とか詩劇とは、自分は程遠い存在だと思い込んでいた。それが、今では自分でも詩を書くようになり、第二部第一幕の少年御者のセリフに酔ってしまう。「浪費ですよ、わたしは、つまり詩ですよ。」とか、「お前はわしの内なる志向(ねがい)だ。」(5623)とかいうところでうっとりしてしまう。そして、これまでの不勉強も無知も、自分に対して許してやれるのだ。いい気なものだ。
そして、もうすぐ80歳になるわたしは、先日も、ある学校の非常勤講師になるための面接を受けに行ってきたのだった。派遣会社の社員が、人の頭をみながら、「なにしろ年齢制限がないので、ご紹介できたのですが……」と、メフィストみたいに言う。「年齢なんか、こだわっているのが間違いですよ!」と言いながら、自分が一番気にしていることを白状せねばならない。でも、何があっても前進して行くしかない!という強い気持ちもまた正直なところ。
今日午後からS夫人に誘われて、「高麗恵子講演会」に参加する。明日のコンサートに向けて、万全の用意をするために。(3.17.)