「魂の本流」
今朝の大津は一面の銀世界です。
昨夜は高麗さんに助けて戴き、お目にかかれる機会を頂戴することができました。世俗の頭はつくづく生きていけない方向へと向かう発想しか浮かばないことを思い知りました。高麗さんとお話できる機会があり、本当にやりたい事がこれからは実現していける時が始まっていることをわかります。今までのことが、ことごとくうまくいかない巡りから、本当にやりたいこと、「魂の悲願」成すこと以外は生活すらできないことを示されているようです。アルバイトして小銭を稼ぎながら、やりたいことをやろうとしても一向に上手くいかず、やりたいことを優先していないからお金も入って来ないことがわかりました。やりたいことでお金を稼ぐことを考えない頭は死ぬよりないのです。
やりたい事をやるために高麗恵子さんに出会って頂けるとように文章を考えていると、「魂の本流」という言葉が生まれ、高麗恵子さんとの出会いは魂の本流に出会い、真の自分をわかっていける道なのだと考えます。実現するために行動することでより、正しく「生きる道なし」となり、ここまで先生がずっと余計なものを浄化して下さり、美しい魂で生きる道を示し、共に歩んでくださっていることで生きて来れました。先生と高麗さんとこれからも共に生きることが本当の喜びです。雪のように、真っ白な心で生きていきます。
先生、高麗さん、いつも助けて戴き、真にありがとうございます。