「魂」の世話
まあ、そんなに卑屈になることもあるまい。
さりとて無知蒙昧を宣言して、享楽に走ることもあるまい。
多くの人と出会い、新しい関係を創り、わが魂を優れたものになるように気を遣いたい。
おかげで、賢人の言葉や読書のおかげで、言い寄る人の愚かさや拒否する人の頑なさのおかげで、自分の至らなさや足らなさに気づき、もう一度やり直そうと思えるのだ。ほんとうのところを分かれば、もういつ死んでもいいとさえ思うのだが、やはり波乱万丈、光輝鮮明に活躍していきたい。それでいて、プラトンの言うように、「魂ができるだけすぐれたものになるように、ずいぶん気を」つかって、生きていきたい。
学校の図書室で、ふと見つけた絵本、『ふたりはともだち』(アーノルド・ローベル作、三木卓訳 文化学園 1972年)の一節、「おはなし」に感動した。ある日、仲良しのかえるくんが病気になり、がまくんは、お話をせがまれ、何とかひねり出そうとするが、なにも浮かばない。うろうろしても逆立ちをしても水をかぶっても壁に頭をぶつけてもだめで、とうとう倒れてしまう。すると、気分がよくなったかえるくんが、がまくんを寝かせ、そのそばで、これまでのがまくんの一部始終を繰り返し話してやるのだ。すると、がまくんは安らかに眠ってしまった。――二人(?)の親交が羨ましい。「親切」が身に染みる。わたしもこんなふうに人と接していきたいと思った。
もう放っておくしかない、と思う若者や、いくら話しても分からない、と思う人が周りにいる。暗い笑いをたたえる女性も気になる。思考停止で平気な男性も多い。何とかしてあげたいなどとは思わないが、新しい関係を気づきたいとは思う。夙川の土手の下に暮らす女性に、その垣根の花の名前を聞いただけで、自作の詩をポストに入れた。それから会釈を交わすようになったが、昨日の朝、彼女は山歩きの姿で帰ってきたところだった。で、また山歩きの詩をポストに入れた。――ちょっと怪しい行動かもしれないが、彼女が受け取ってくれるだけでいいのだ。「がまくん」でありたい。(3/8)