「高句麗伝説」とは‼️
京都「高句麗伝説」が開催される日、2時間ほど「小屋」をオープンしようとミニサウンドシステムの音に乗り、準備も終わりしばらくすると平日の昼間にも関わらず、以前から時々コーヒーを買ってくださるお客様が帰宅されると直ぐにお金を手につかみ駆け込んで来られました。いつもは面倒だからドリップパックをご購入くださるのですが、昨日は「ドリップパックが1袋しかなくて〜。」と申し上げると、「いや、豆の方を」と仰るので、いだきしん特別焙煎コーヒーをお勧めしますと2袋買って下さり、「豆挽くの買ったから。」とお顔が輝いていました。前日のびわ湖での高句麗伝説で人は明らかに変わって来ていると感じ、先生、高麗さんの表現の威力に世界を変える力をみます。
京都の会場に向かう山道は夕暮れ時の空に木立のシルエットが美しく母といっしょに見れる幸せに感謝よりありません。生活は厳しくても、真から幸せを感じれることが幸せです。先生、高麗さん、ありがとうございます。会場に着くと、先生が淹れてくださった白いコーヒーがあり、足りない人がいないようにとたくさん淹れてくださったのを感じるとありがたいばかりです。母も多くの方にお声掛け戴き、琵琶湖高句麗伝説を経験し、透明感が増しどんどんパワーアップしています。客席側と舞台側が同じ広さに作られたとお聞きする贅沢な舞台に登場された高麗さんのお姿は、梅の花、桃の花、桜の花、しゃくやくの花、何とも言葉になりません。そうだ!「高句麗の華」です。先生の奏でる音の一音一音と高麗さんの声、言葉の一音一音を発すると、そこに大いなる存在が明らかに立ち顕れ、この様な場に身を置いていることにただ畏れを抱き、好太王様の存在現れ、太鼓ではいだきしん先生の存在が現れ、ただ口を開けて圧倒されるばかりです。」これほどの存在にお会い出来ている自分を信じられるず、「今の医療がどうのこうの」といだきを伝えることが変えることぐらいの小さなことに頭で作った妄想の世界で10年もの間、全くわかっていないことが浮き彫りになり、何かが大きく逆転してるのです。あ、聞いたことのある音楽と感じても、かつて反応した過去から作られた感情は、どこかに消し去りどの音楽をお聞きしても「今が未来」という状態を経験します。それがはっきりわかるのが、「宇治の詩」でした。10年以上前だったでしょうか、かつてそこには、夜な夜な動物たちが姫さまに逢いに集まる「cafe zoo」がありました。そこでは、いつも姫さまは真の音でお話してくださいます。所詮、言葉の意味を理解できない動物たちは声の音だけを聞きます。ある日、宇治川の畔のお話をしてくださいました。「ごめんください」と扉を開けると。。。一斉に動物たちは姫さまの次の言葉に身を乗り出します。次の瞬間、「つづきは、またこんど!」その途端、あらゆる種の動物たちは一斉に雄叫びを上げ、真の音が響き渡りました。あれから10年以上の歳月が流れ、やっとその時を迎えた感動!真実が明かされました。「出会ったら、ともに生きていくよりない人」高麗恵子様、高句麗始祖東明王様の存在あり、かつて天をこの地に実現しようと日本の礎を築かれた高句麗人、近江にも京都にも奈良にも、武蔵国にも高句麗精神立つことが国創りと伝え続けた高句麗人。高句麗王19代好太王様後裔、高麗恵子様の元、いだきしん先生の存在が現れし今、一見同じことのようであっても完全に過去もない次元で生きる生命に変えて頂いている凄さを実感する高句麗伝説です。今は未来であることは、過去がないという奇跡の状態の身であるからわかること。先生の存在は人間として生きたいなら、誰もが会いたいです。抜け出し口を求めている人がいることは、コーヒーを突進するかのごとくに買いに来られる人からもわかります。高句麗王直系子孫である高麗恵子様、いだきしん先生の存在が希望であり、いつでももどこでも誰にでも知らせて、幸せに元気で生き延びていくだけです。生きて変わっていける経験、世俗に生きていたら到底会うことも叶わない多くの偉大なる存在。出会い、変われ、生き抜く力を得る場、高句麗伝説。本日も奈良、大和郡山での高句麗伝説、大津から醍醐寺を通り、宇治川の畔を抜けて、木津川沿の道を奈良へと向かいます。
先生、高麗さん、ありがとうございます。