「離脱」
先日の応用講座で先生が、「早く離脱したかったのだ。」と言われて以来、頭に「離脱」がこびりついている。何か哲学用語なんだろうか。やっと読んだ『アナキズム』(栗原康著、岩波新書)の中にも散見する。アナルコ・サンディカリズムの理論に、「労働者階級は何よりも根本的なかたちで離脱しなくてはならず、残りの社会と一切の共有をしないようにしなくてはならない。」(ダニエル・コルソン)と会って、なかなか激しい。また、大杉栄も、「自我の棄脱」をかかげ、自分自身の「自我」も結局は「他人の自我」を強制されているだけだから捨ててしまうべし、と言ってるそうだ。先生の発言とは、違う文脈のことだとは思うが、ともあれこれまでの一切の観念や常識、価値観や倫理観から一度離れなくては、ほんとうの自己改革には至らないということなのだろう。そんな何もかも捨ててしまい、離れてしまったら、いったい明日からどうしていくのよ! という心の叫び声を、少し笑えるほどのところまでは来ているが……。
さだまさしは、映画製作で28億円もの謝金を抱え込んでしまったが、35年かかって返済したという。一年で一億円返したそうだ。できるんだ!そういうことも。――なぜかうれしくなった。